物語
Old Tale
#1547
七面堂のご本尊
ソース場所:大野原七面堂(親七面堂) 早川町大野原1755
●ソース元 :・ 「早川のいいつたえ」第二集 著者:三井啓心 出版社:㈱上田印刷
●画像撮影 : 年月日
●データ公開 : 2020年08月21日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 早川町大野原の地図を見ると、県道37号線沿いに民家が並ぶくらいで、山また山の地域ですが、よーく見ると山に向かって細い道が伸びその先に小さな集落が有ります。今現在、過疎化が進んでいるのですが、その昔もそれほど大きな集落ではなく、馬もいなかった貧しい村だったと云います。しかし、そこには村には不似合いなほど立派な七面堂が建っています。 ここのご本尊様は別な所のために造られたのが、こちらに納まったと云う言い伝えがあります。ただ、その謂れには少々時代が合わないような、、、、、小さな集落ではありますが、とっても信心深い人たちがいた事でしょう。
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大野原のいいつたえ
『七面堂のご本尊』
塩島から山道をのぼるか、または中州から車で、大原野の集落をたずねてみてください。
もとは塩島にあった集落が、天正四年の山崩れでひどい目にあったので、現在のところに移ったといわれます。
でも過疎がひどく、大野原村といわれた時代には五十八戸もあったものが、現在(これが記された冊子は昭和62年発行)の電話帳を見ると山の上の方の家は十戸にすぎません。
この集落のとっつきに、小さいながらも貫禄のある七面堂がたてられています。
七面堂の信仰は、まとめていうと、衆生の七難をはらい、七福をもらうということになるでしょうか。早川町では、茂倉[モグラ]、雨畑[アマハタ]にも七面堂はあり、ほかにもありそうです。
さて、大野原の七面堂、馬もいなかった貧しい村には不似合いで、お寺の本堂にも負けない、こったつくりがしてあります。
それにはわけが大ありで、大野原の人たちにいわせれば次のようになるそうです。
このお堂のご本尊。なんと、もとは七面山に鎮座ましましておいでだったのが、ある年、失火で本堂が焼けてしまいました。
七面山では大騒ぎで、たくさんの信者が浄財を集め、早速大きな本堂をたてる準備をはじめました。
ところがこのご本尊様、「大きけりゃいいってもんじゃあない。わたしは自分で安住の地を探すであろう。」と、とことこ山をくだり、早川を上流に向かって歩きはじめました。
日あたり、景色、人気[ジンキ]がみんないいところといっても、そうやたらにあるわけではなく、やっと見つけたのが大野原で、その入口の一番いい土地に腰をおろしたというわけです。
村では、おそれいるやらありがたがるやら「こうなりゃ、いろいろいっちゃあいさらなあ[いられない]。」ということで、ありったけの浄財と労力をつかって、このお堂をたてたということです。
もっとも、今の本堂は、茂倉とおなじ頃、慶応年間の建立です。そうすると日蓮宗の霊山、七面山の今のご本尊のあとはどうなったか、ということになるのですが、まあ、そこのところはいいつたえですので、あしからず。
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