物語
Old Tale
#1284
奈良子の矢竹
ソース場所:大月市七保町奈良子矢竹
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月08日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 日本武尊の東征時、頑強な抵抗にあい、日本武尊の軍勢も五日市街道から小菅を経て大菩醸峠まで退却しなければならないことが有った。この時、豪族の圧政に山奥に閉じ込められるように生活していた奈良子の村人は、密かに矢竹で矢を作り日本武尊に献上した。出陣の時、大菩薩峠は暗雲に覆われていたが、日本武尊が魔を破るため、矢竹を弓につがえ四方に放つとたちまち雲間から陽光がひろがり、神のご加護を得た日本武尊軍は怒涛の進軍となり、東国を平定した。矢竹の竹はヤブサメの竹としての名声を得て、生産性の少ない山里を潤したと云う。
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奈良子の矢竹
山中湖で白龍に乗った妻に再会し、永の別れを告げたあと、三ッ峠越えで帰路についたヤマトタケルノミコト(日本武尊)であったが、まだ朝廷の命に従おうとしない豪族が、不隠な動きをしているというので、再び軍勢を東国に向けた。
遠征途中での再東征であるから、兵士の疲れと、頑強な抵抗で、兵力の消耗が激しく、さすがのヤマトタケルの軍勢も、五日市街道から小菅を経て大菩醸峠まで退却しなければならなかった。
甲斐の国の村人は、豪族たちの勝手な政治で、おちおちと平穏な暮らしなど望むことさえできないありさまであったので、天下が早く統一されることを願っていた。なかでも、豪族の圧政に山奥に閉じ込められるように生活していた奈良子(大月市)の村人は、ヤマトタケルに勝ってもらわねば、世の中が良くならないと、大菩薩峠で陣容の立て直しを図っているヤマトタケルの下へ、ひそかに自生特産の矢竹で矢を作り、献上した。都を遠く離れたこんな山奥にも、朝廷の政治を待ち望んでいる人々がいると思うと、ヤマトタケルは勇気百倍した。
いざ出陣の日、大菩薩峠は暗雲に覆われて、不吉な感じがした。ヤマトタケルは出陣のまじないに「神霊やどる大菩薩の加護あるならば、暗雲晴らして戦勝のあかしを見させ給え」
と祈って、矢竹を弓につがえ、四方に放った。矢は暗雲を突き裂いて天高く空を飛び、小さくなって視界から消えた。代ってキラメクばかりの陽光が雲間から束光となって走り広がった。
奇蹟は異様な感動を呼んだ。勝利を信じた兵の気迫は戦力を三層倍にもした。天地に味方を得たヤマトタケルの軍勢があげるどよめきは谷間にこだまし、怒涛の進軍となって突き進んだ。正に破竹の勢いで、向かうところ敵なく、東国一帯の平定を無事終わり意気揚々たる凱旋であった。甲州街道をたどっての帰途、真木(大月市)に至った。
「思えば、姥子山一つ隔てた向かい側の奈良子の矢竹に助けられた」と、しばし軍勢をとどめ、争乱の二度と起こらぬことを念じ、矢文をつけて矢竹を空に放っと、矢は白光をきらめかせて奈良子の空に消えた。まさに破魔矢の如くで矢を放った場所に破魔射場の地名が残った。
また、結ぼれた矢文には献上した矢竹の繁る地に「矢竹」の地名を与えることを記し、同時に富士浅間神社にヤブサメの矢竹を献上する権限を与えた。
かくて矢竹の竹はヤブサメの竹としての名声を得て、生産されるすべての竹は売れ尽くし、長い間生産性の少ない山里を潤した。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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