1517│狐の提灯と長坂駅前通り

Top > Old Tale > 1517│狐の提灯と長坂駅前通り

ソース場所:北杜市長坂町長坂上条

●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2018年06月26日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

[概要]

狐の提灯と長坂駅前通り     (大八田・長坂上条)

私の母は明治33年に町添に生まれ、82歳でなくなった。その母が私の子供の頃よく話してくれた母の子供の頃の話である。
母が子供の頃は電灯もなく、夜は暗闇の生活であった。夜更けに母が私の祖母に手をひかれて便所に起こされたときのこと。
近くのオチョンボリ山の方から赤い提灯が二つおりてきた。この夜更けに誰かと思う間にまた二つつき、一つ消え、さらにまた一つ消えると間もなく、二つ交互についたり、また一つついたり、というような灯のつきかたをしながら降りてきた。
祖母はもう知っていた。「またいつもの狐の提灯だ。どこへ行くのか見ていよう」と言われるままに、母は祖母の手に固くしがみついて見ていた。すると、だんだん降りてきて最初山本数馬さんの家の玄関の方へいき、すぐ出てきて、母たちのいるところから100mくらい前方をたえず提灯をつけたり消したりしながら、近くの田圃を横切って堂山の玄関の深い堀内七郎さんの家のあたりへ行って間もなく出てきた。次はどこへ行くのか見ていると、道づたいに清光寺山の方へ提灯を点滅しながら遠ざかって行き、やがて林の中に消え去った。
狐は人を化かすが貉は自分が化けて人にみせて人をだます、といわれている。近所の人たちと、「明日は早く起きてあの山の木を切ろう」と話していると、どこかで貉が聞いていて、当日まだ暗いうちに「お早うごいす。おっちゃん出かけんかい」と声をかけられ、あわてて起きると誰もいなくて、山の方から「ゴキン、ゴキン」と鋸の音がするので、遅れてはいけないと一生懸命かけつけると、人影はなく、木の周りには貉の足跡がいっぱいあった、という話もある。
こんな話をよく聞かされたものだが、いまでは遠い昔の話になってしまった。私の子供の頃には、絵本にも狐の嫁入り話があり、陽がさしているのに雨が降ると、「狐の嫁入り」とか言って、身近な生活の中にまで動物たちが入っていたものである。
私が生まれたのは長坂駅前で、小さい頃から汽車を見て育ったので町に住んでいるような感覚でいた。ところがある時入沢のあるおじいさんに、「おめえ達、こんな長坂なんちゅう所はなあ、この間まで狐山って言ったもんだ。狐だらけでうっかり山へ行って見ろ、みんな化かされちまう。おっかねえ山だ。」といわれ、町の感覚でいた小さな私は自尊心を傷つけられくやしかったことを覚えている。
ところが、あとになって長坂駅開駅当時の写真を見て驚くと同時に納得した。
旧長坂町役場の場所に建つ住吉という料理屋の建物に、のしかかるように繁っている松林、今のファミリコの西あたりに立っている大きな松の木、峡北印刷の裏手の小高い山の松の林等々。
長坂駅付近一帯は、話に聞いたオチョンボリ山の方から続いている深い松林で、狐・狸・貉その他いろいろな動物がいたであろうと想像すると、ここもやはり、入沢のおじいさんが言った通りの狐山だったのかもしれないと思った。
昔を語ってくれる人が次第に少なくなり、昔を尋ねようがなくなってしまった現在である。そして、私自身がおじいさんになろうとしている今日、記憶のままに語りぐさとしておく。     (繁宮豊)

長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場

このデザインソースに関連する場所


北杜市長坂町長坂上條
ページトップ