0587│「花水八景」
ソース場所:県道606号 台ヶ原長坂線沿い
●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影 : 2016年01月07日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要]「花水八景」 北杜市白州町台ケ原から北杜市長坂町清春へ向かう古道を古くから「花水坂」と呼びました。この道は、甲州と信州を結ぶ重要な道で、甲州五道九筋のひとつでした。御坂峠から望む富士、南部町の西行峠からの富士と並んで、ここから望む富士は「甲斐富士見三景」と呼ばれ、その景色のすばらしさは広く知られていました。また、日本武尊が東征の時、あまりの絶景にしばし足を止め休んだとも伝えられている。春、山桜の咲き誇る時期が、花水坂の名にふさわしい美しい景色を楽しめる季節と言われています。この地の、景色に優れ、伝説に親しむ地を八つ選び、「花水八景」とした。
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「花水八景」 (日野区)
いつのことか、「富士見三景」の一つに花水坂があげられてから、日野の里人たちは「山水の富士の花水坂」にあやかって花水八景を選んだという。
・休み平(やすまんていら)
日本武尊が東夷征伐の折、駿河(静岡)より甲斐に入り信濃(長野)に行く途中この地を通り、東西に釜無川、七里岩前に富士の霊峰を眺められ、余りの絶景にしばらく足をとめこれを賞賛した。風致にちなんで花水坂と命名せられたという。
里人ここを休み平といい。また日本武尊の徳を思慕し祠を建て御嶽神社として奉祀した。
・自然石
花見坂の中ほどに、大きな自然石がある。ここに往古の熊野神社の一の鳥居があったという。里人は鳥居石ともいう。
・富士見石
御嶽神社の東方に巨大な石があり、上は平坦で畳二帖ほどもあり、富士を眺望する絶好の所であるという。
・縛り石
花水坂の路辺に3、4尺四方の石があり、昔通行人が駒の手綱を結び、四方の景観を眺めたといい、別名を駒留め石ともいう。
・矢竹八幡
日本武尊が東夷征伐の折り、里人が竹を矢竹として献じ、以後矢柄竹といい、竹林に日本武尊を祀り矢竹八幡という。
・勾欄(こうらん)の橋
花水坂の中腹に小川が流れ、谷が深く、木竹奇岩風致に富み、流水銀蛇の景を飾る。
ここお茶壷道中の折りは、御林より材木を受けて見事な勾欄のついた板橋を架けていた。里人は柱松の欄干橋と呼ぴ、今も名が残っている。
・柱松
欄干橋の西方の高台に、昔巨大な一老松があった。遠くから眺めると一軒の家のようで、その幹は見事な柱のようだつた。人々はこれを柱松と呼び、今も地名として残っている。
・里宮と山宮
古い昔、御嶽神社を里宮と呼ぴ、熊野神社を山宮といっていた。それ故にか、熊野神社の鳥居は西方の里宮に向けて建てられている。
(朝日竹夫)
長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場