物語
Old Tale
#1575
甲州の鵜飼(笛吹川)
ソース場所:笛吹川
●ソース元 :・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編 ・甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成』3,甲斐志料刊行会,昭和7至10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1240842 (参照 2024-08-27・
●画像撮影 : 年月日
●データ公開 : 2020年10月16日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 夏になると石和温泉の観光事業として、平安時代から続く伝統的な「徒歩鵜[カチウ]」の実演が見られる。有名な鵜飼としては「長良川の鵜飼」などがあるが、あれは船上から鵜匠が鵜を巧みに操り漁をするものであるが、当地の鵜飼は鵜匠自ら川の中を歩き、鵜を操る伝統的なものです。江戸時代の鵜飼の様子がわかる記載が「裏見寒話」にあったので紹介します。
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(江戸時代における甲州での鵜飼漁について)
鵜飼は釜無・荒川・笛吹の三ヶ所だけでなされる。そのうち荒川は鮎が少しとれるだけ。釜無・笛吹は鮎が多い。
鵜飼による鮎は歯形がついて、そこから魚の脂が抜けるので、網で獲った鮎の方が上等。ただ、網で獲った鮎はあまり出回らない。甲府へはもっぱら郡内の桂川産の品が来る。その他アマゴ・ヤマメなどはこの辺りでモジリ漁(籠状の漁具を水中に沈め漁する)・ヤナ漁(川上から川下に向かって斜めにすのこ状の仕掛けを渡し、泳いできた魚を捕まえる。川上側を高くすれば遡上する魚を狙え、川下側を高く設置すれば川を下る魚を捕らえることが出来る)・佛体漁(毒流し漁)など色々な方法で獲っている。
当国の鵜飼は舟によるものではなく、徒歩鵜である。松明は樺の木で作る。どんな深い瀬でも、流れの速い所でも、鵜を徒歩で引いて、行灯の影が水に映るようにして、その光に鮎が寄ってきたところで鵜を放つ。又。昼は鵜を使う人はめったにいない。近年、市左衛門という者だけが、昼の鵜飼漁を会得していたが、今は亡くなってしまって出来る人がいない。
甲州の鵜は、国中には鮎をとるように躾けられる者がいず、信州諏訪で躾けたものを、一羽 金一両二分で買い取って来る。そして十月頃からまた諏訪へ連れて行き夏まで預けておく。この預け賃が一羽あたり金一分という。夏になれば、甲州に連れて来る。 (「裏見寒話」 巻之三 漁・釣り の項より)
甲斐志料集成3(昭和7-10年) 甲斐志料刊行会 編
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裏見寒話とは、野田成方が甲府勤番士として在任していた享保九年~宝暦三年(1724-1753)までの30年間に見聞きしたり、調べた甲斐の国の地理、風俗、言い伝えなどをまとめたものです。只々聞いたものを記すだけでなく、言い伝えられている某氏の名前を古い書物から探し出したり、例えば鳥の羽が夜光ることを、不思議な話だと記すだけではなく、闇夜に猫の毛を逆立てると火花が散るがこういった現象ではないだろうか?と考察している。当時の様子や、一般の人達にとって常識だった歴史上の事柄(歌舞伎や浄瑠璃などで演じられ、当時の庶民に良く知られていいた)を知ることが出来る。
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