物語
Old Tale
#0350
白道地蔵
ソース場所:都留市小野7 若宮神社入り口
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 2015年07月06日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 今の都留市小野に一人の旅僧が訪れて木喰の行をとるようになった。彼は木喰五行明満の高弟で名を木喰大秀白道と称し、衆生済度のため木喰行を行い、千体の仏像を彫ることを悲願としていた。彼の一途な姿に、人々は尊敬の念を抱き、彼が小野を去る時には別れを惜しみ、村の入口に地蔵堂を建てて彼の作った地蔵尊を祀った。以来地蔵は木喰白道に代って村人を守り続けてきたと云う。村内には幾体ものお地蔵様が、地域の人々から大切にされている。
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白道地蔵
小野村(都留市)にお薬師様と十二神様を祀るお堂があった。このお堂にいつしか旅僧が訪れて、木喰の行をとるようになった。
旅僧は木喰五行明満の高弟で名を木喰大秀白道と称していた。木喰行とは一日一食で米麦粟稗豆の五穀を絶ち火食をしないというのが基本行で、回峯(かいほう)、梵字、経典和歌、木、又は石彫を学びかつ行うというきびしい行である。
木喰白道は師五行明満の感化を受けて衆生済度のため木喰行を行い、千体の仏像を彫ることを悲願としていた。
旅僧白道が来たころは、うさんくさい乞食坊主が来たものだと思っていた村人も、托鉢をして歩くときお金やお米は遠慮して受けとらず、ソパやくるみ、とうもろこしあるいは野莓(のいちご)というようなものを喜こんで受けとり、門口での読経も心からのものであった。日頃のおつとめぶりや、仏像つくりにはげむ姿をみて感動し、次第に尊敬するようになり、お祈りを依頼する人が続々とふえた。
そんなわけで病気で苦しむ人を助けてほしいと頼まれると、木喰白道は「衆生済度のためです。私にできることは何でもします、でも拙僧にできることはお薬師様にお祈りをすることと、薬草をお教えすること位です。」と言って、薬草を教え、自分は薬師堂にこもって木喰の行に入るのであった。
「オンコロコロセンダリマトウキソハカ」
と薬師如来のご真言を呼び、よくも憶えたと思う六〇〇巻のあの大般若心経を読誦し、一日一食全く火食をせず、ただひたすらに家族になり代り、病人になり代って祈りを捧げるのであった。こうした姿に人々は心をうたれた。そればかりでなく大ていの病人は苦しみがやわらぎ、やがて治癒した。治らない病人も、苦しみはやわらぎ、極楽浄土への旅立ちを信じてほほえみさえ浮べて静かに息をひきとるのであった。これはまさに奇跡であった。
諸国を回遊し衆生済度のため千体仏を彫ることを悲願とする木喰白道が村を離れることを告げたとき、村人は
「どうか私達を助けるためにお残り下さい」と願うと、
「衆生済度のため、より多くの人のために私は尽したいのです。拙僧の魂を込めて作った地蔵仏を残しますから、オンカカソタダソハカ、オンカカソタダソハカとお地蔵様のご真言をとなえてお祈りをして下さい。私が乗り移って必ず願をききいれますから」と地蔵菩薩像を残したのである。
村人は村の入口に地蔵堂を建てて地蔵仏を祀った。以来地蔵は木喰白道に代って村人を守り続けてきた。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
村内には幾体ものお地蔵様が、地域の人々から大切にされている。
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