


物語
Old Tale
#0335
南明寺の大すりこぎ
ソース場所:富士川町小林2247 南明寺
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店 を参考にしました。
●画像撮影 : 2014年10月17日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。






[概 要] 富士川町の南明寺には、徳川家康が朝倉氏との戦いで逃れて来た時、僧衣を着せ味噌をすらせ彼らは坊主であると、敵兵から匿ったという言い伝えがある。
舂米の南明寺は徳川家康と深い関わりがある。天正八年(1580)徳川家康は、隣国朝倉氏との戦いに敗れて遠く甲斐へ落ちのびた。そのころ南明寺の住職は十三世用山儀存(ようざんぎぞん)といい、三河の生まれで、家康の今川人質時代にともに学んだ人だったことから、家康はこの寺へ逃げ込んだ。寺では弟子僧が味噌をすっていたので、儀存は家康主従に僧衣を着せ、すりこ木を与えて味噌をすらせ、彼らを追う敵兵から匿った。家康は喜んで、徳川家の寄進で寺は改築され、寺をめぐる四キロ四方の土地も寺領となり、見違えるほどの立派な大寺となった。という。
今も南明寺の大すりこぎと呼んで、本堂の内陣の左右に、一番擂粉木、二番擂粉木の二本の大物が吊り下げてある。
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浅井・朝倉両氏は、織田信長と対立した室町幕府15代将軍 足利義昭に付き、織田軍(徳川方)とは何回となく戦ったが、天正元年八月の一乗谷城の戦いにおいてそれぞれ滅びた。なので、匿われた事実があるのか?誰だったのか?いつだったのか?など分からないが、何かしら徳川家康との縁が有り、庇護された寺院だったのでしょう。
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