物語
Old Tale
#0353
笛吹権三郎
ソース場所:笛吹市春日居町小松893 長慶寺
●ソース元 :・ 現地説明板より
●画像撮影 : 2015年05月15日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 権三郎という若い笛の名手が、父を探しながら母と二人、川上流の地に辿り着いた。仮住まいしながら父を探す毎日だったが、疲れた母を癒すため美しい音色で笛の音を響かせていた。村人たちもその笛の音に聞きほれていた。ある時、長雨続きで借り住まい近くの川が氾濫し、二人は川に吞み込まれてしまった。権三郎は命からがら助かったが、母の姿は見つけることが出来なかった。 母を探すため笛を響かせながら昼夜を問わず権三郎は川沿いをさ迷い歩き、ついには自らも川に流され亡くなってしまった。 それから、夜になるとその川から美しくも悲しい笛の音が聞こえるようになり、その川はいつしか笛吹川と呼ばれるようになったという。
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■笛吹権三郎の事
今から六百年ほど昔、芹沢の里(現在の三富村上釜口)に権三郎という若者が住んでいた。
彼は、鎌倉幕府に反抗して追放された日野資朝一派の藤原道義の嫡男であったが、甲斐に逃れたと聞く父を、母と共に尋ね歩いてようやくこの土地に辿り着き、仮住まいをしている身であった。
彼は孝子の誉れ高く、また、笛の名手としても知られており、その笛の音色はいつも里人の心を酔わせていた。
ある年の秋の夜のことである。長雨つづきのために近くを流れる子酉川が氾濫し、権三郎母子が住む丸木小屋を一瞬の間に呑み込んでしまった。
若い権三郎は必死で流木につかまり九死に一生を得たが、母親の姿を見つけることはついにできなかった。
悲しみにうちひしがれながらも、権三郎は日夜母を探し求めてさまよい歩いた。
彼が吹く笛の音は里人の涙を誘い同情をそそった。しかし、その努力も報われることなく、ついに疲労困憊の極みに達した権三郎は、自らも川の深みにはまってしまったのである。
変わり果てた権三郎の遺体は、手にしっかりと笛を握ったまま、はるか下流の小松の河岸で発見され同情を寄せた村人の手によって土地の名刹長慶寺に葬られた。
権三郎が逝ってから間もなく、夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、里人たちは、いつからかこの流れを笛吹川と呼ぶようになり、今も芹沢の里では笛吹不動尊権三郎として尊崇している。
これが、先祖代々我が家に伝えられている権三郎にまつわる物語です。
以上、現地説明板より。
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笛吹権三郎と笛吹川の由来
甲武信岳、国師岳に源を発して流れる子酉川(ネトリガワ 後の名称を笛吹川と呼んでいる)の急流に沿った山奥の上釜口村に落人の親子が住んでいた。子の名前は権三郎と言い祖先は後醍醐天皇の忠臣であったが、戦に敗れて上釜口村に逃れて来たと言う。権三郎は母に孝養をつくし、名手と言われる横笛を吹いて母を慰め村人も笛の妙音に聞きほれており平和な楽しい日々をすごしていた。然し「好事魔多し」の例、天正五年(一五七七年)七月の豪雨により家もろとも急流にのまれ権三郎は辛うじて助かったが母は行方不明となってしまった。それ以来、権三郎は昼夜の別なく浅瀬は石伝いに、淀みは小舟を用いて笛を吹きながら母の霊が何か知らせてくれる望みをいだき探し尋ねたが遂に発見することが出来なかった。 権三郎も長い間の疲れから深みにはまり流されてしまいました。村人も探したが発見することができず数日後 小松村・笛吹川の淵に流れている遺体を懇ろにあげて長慶寺の開山・円誉長慶上人により手厚く葬られた。これが今に伝わる権三郎であり、以来この川は笛吹川と呼ばれるようになった。 長慶寺(現地説明板より)
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