物語
Old Tale
#0377
山中湖の白竜
ソース場所:南都留郡山中湖村山中13 山中諏訪神社、山中湖畔 白竜の松
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
・ 山中湖畔「白龍の松」説明板
●画像撮影 : 2014年09月23日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 昔、日本武尊が東征時、東京湾を渡ろうとすると海が急に大荒れに荒れ、進退窮まった。この時、妃の弟橘姫が海に身を投じ、海神の生贄になり荒海を鎮めた。このことで、日本武尊は荒海をも鎮める神の力を持つとされ、多くの敵が従うようになった。しかし、弟橘姫を失った日本武尊の心は晴れなかった。帰途に就き、山中湖の辺りまで来た時、明神峠にむら雲がわきあがり、雲を裂いて白龍が姿を現わした。見れば白龍には弟橘姫が乗っている、弟橘姫は日本武尊に最後の別れをし、白竜と共に山中湖に消えた。富士のふもとのこの静かな湖が弟橘姫の安らぎの地となるようにと、社を建てて妃を祀り、山中明神と名付けたという。
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山中湖の白竜
大和朝廷が成立したとはいえ、遠国の豪族たちは、なかなか朝廷に服従しようとはしなかった。そこで景行天皇は、武勇に優れた日本武尊にあずまえびすの征伐を命じた。 さまざまな難戦苦戦に遭遇しながらも、アメノムラクモノ剣の神威を借りて、火攻めの戦いに勝ってからは、ヤマトタケルは神威を宿した武人として恐れられ、従う者が続出した。 以後、ヤマトタケルの東征は順調に進展するかに思えたが、東京湾を渡ろうとすると、海がにわかに大荒れに荒れ、進退不可能となった。そのとき妃であった弟橘姫(おとたちばなひめ)が「私が海神のいけにえになりましょう」と身を海に投じたために、荒れ狂っていた海もたちまちおだやかになった。 猛火を征し、荒海をも鎮める神の力が授かっていることが知れわたると、ヤマトタケルに向かってくる敵はなく、ことごとく朝廷に従うようになった。勝利のうちに帰途につくヤマトタケルであったが、最愛の妃を失って足取りは重かった。小田原から足柄山を経て、甲斐相模の国境い明神峠に至ると、目の前には山中湖の湖水が見え、相模をあとにすることになる。湖水の水は妃を奪った東京湾の海を思い出させた。もう一度ひと目でよいから会いたいと思うと、豪勇の軍神ヤマトタケルといえども、万感胸に迫まり、目に涙があふれでくるのを止めることができなかった。 と、どうしたことであろう。明神峠にむら雲がわきあがり、雲を裂いて白龍が姿を現わした。見れば白龍にはかた時として忘れることのできない弟橘姫が乗っているではないか。姫を乗せた白龍は、まっすぐにヤマトタケルの方に向って天を駆け、頭上を通過して行った。乗っていた弟橘姫はヤマトタケルをじっとみつめながらにこやかに微笑み、手をさしのべ、身を乗り出していたが頭上を通過すると悲しげな顔をうかベ振りかえりながら手を振るのであった。私を追って下さいとも思え、これが見おさめです永の別れですと告げるようにも見える姫の姿を見ると、もう一度あいたい、ほんのちょっとでいいからもう一度手を触れたいという思いに馳られて、ヤマトタケルは白龍を、いや、弟橘姫を追っていたのであった。 だが白龍は、追うヤマトタケルをぐんぐんと離し、山中湖に至ると急に空をかけくだって大きな水しぶきをあげて湖水に入り、真一文字に湖水を分けて山中明神に向かって泳いでいたが、次第に小さくなりやがて視界から消えた。 ヤマトタケルは落胆したが、ともかくひと目あえたことで気をとり直し、追って来た弟橘姫をこれ以上苦しめてはいけない、富士のふもとのこの静かな湖が安らぎの地となるようにと、社を建てて妃を祀り、山中明神と名付けた。 以後、山中明神の祭礼では、みたま移しの時刻には必ず明神峠から雲がわき、白龍が湖水を渡るといって、しばらくの間湖水が二つに分かれると言い伝えられている。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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山中湖 白龍の松
人皇第十代祟神[すじん]天皇の御代七年(西暦104年)国中に疫病が蔓延、勅命をもって土人創祀する。これが山中諏訪神社(山中明神)の起源と伝えられています。第六十二代村上天皇御代の康保三年(966年)には村人が開墾の守護神として、諏訪大明神を奉りました。
時代がさらに進んだ天文二十一年(1552年)には甲斐国守護 武田晴信公(後の武田信玄公)が、相模国北条氏との合戦に際し、当神社に御加護を請い奉らんと、本殿を造営寄進しました。
貞享元年(1684年)には本殿を修築、主祭神・豊玉姫命[とよたまひめのみこと]、相殿神・建御名方命[たけみなかたのみこと]を合祀する。
豊玉姫命は記紀神話に依ると彦火火出見尊[ひこほほでみのみこと](山幸彦)の后にして その御子を懐妊され産月が近づき、産屋を造ろうとしましたが俄かに産気づき産屋が出来上がらぬうちに軽く出産されたと云う故事に因む。その時お生まれになったのが、鵜葺草葺不合命[うがやふきあえずのみこと](神武天皇の父神)である。その出産神話により子授け、安産の守護神として広く崇敬されています。
山中諏訪明神(山中諏訪神社)の例大祭、通称「安産祭り」は、祭典役員により毎年九月一日に明神山山頂で神霊の降臨を願い、奥宮祭が執り行われます。
九月四日 宵祭り、五日 本祭り、六日 後祭りと、執り行われ、特に五日、本殿に納まる前には安産や子授かりを願う多くの参拝者が神輿に触れようと数珠繋ぎとなって、神輿と共に境内の御神木の周囲を御神歌を歌いながら練り歩く光景は荘厳そのものであります。
山中諏訪神社 御神歌
「諏訪の宮 御影さす 右龍がいにも 左龍がいにも もそろ げにもそろ」
御神歌の一節『右龍がいにも 左龍がいにも』は、「諏訪の宮」即ち豊玉姫命が、右龍と左龍の一対の白龍に導かれ、あるいは守られておいでになると云われております。
湖畔にたたずむこの松は、東にある明神山の奥宮から豊玉姫命が白龍に導かれ里宮へ来る道中に位置する。誰が形成したわけでもなく、この形を成しているのは不思議である。
山中区会及び氏子総代では、この松を白龍の松と命名し後世に亘り末永く保存していくこととする。
ーーーーーーーーーーーーー平成十九年度 山中区会・平成十八、十九年度 氏子総代 (山中湖畔説明板)
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