物語
Old Tale
#1177
おいしがね
ソース場所:都留市夏狩 (35.542913,138.882128)
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 2017年06月10日
●データ公開 : 2017年01月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 都留市下夏狩の田んぼの中に「おいしがね」と呼ばれる大きな石があります。 この石には、仲の良い姉妹の悲劇のお話があります。 昔、「おいし」と「おかね」と云う仲の良い姉妹がいました。貧しい農家の娘たちだったので、二人は沢山田畑が有る家に雇われ仕事で働いていました。沢山稼ぐため二人は誰よりも早くから田畑に出、休憩も人より少なく、夕方も皆が帰った後まで働き、少しでも多くの仕事をしていました。そんなある日、夕方皆が帰った後もせっせと二人が働いていると、急に空が暗くなり、天地が轟いた。二人は必死で家へ向かったが、地響きと共に大石が降って来て、二人の姿は見えなくなった。人々は二人の死を哀れみ、二人を下敷きにした大石に祠を建て、二人を祀ったと云う。
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おいしがね
都留市下夏狩(下原)の田圃の中に大きな石があります。人よんで「おいしがね」という、岩の周囲三十二メートル、高さ五メートルもある一つの岩で、その岩の上に石の祠があります。
昔 富士の噴火の時降ってきたものだといわれていますが、富士の熔岩とはちがった質の岩だと土地の人はいいます。
この岩にこんな伝説があります。
昔 夏狩というところのある家に、おいし と おかね というとても仲のよい姉妹がありました。
たいへん親孝行で、近所でも評判の働き者でした。
ある日のこと二人はいつものように、日の出ないうちから野良に出て、一生懸命に働いていました。お昼になるとまわりの人たちは家に帰っていきましたが、二人は予定の仕事がおわらないので、なおもせっせとはたらいていました。すると一天にわかにかき雲って、たちまち稲妻が走り雷が鳴り渡りすざましい嵐となりました。
さすがの姉妹もこれにはおどろいて、互いにしっかりと手をにぎり、励まし合ってわが家をさしてかけだしました。
この時、南の方からひとかたまりの黒雲が現われて、うなりとともに二人の方へ向かって突き進んできました。あっと思う間もなく、二人の姿は跡形もなくなってしまいました。
そして二人のいた近くの田の中に大きな岩が、どっかと姿を見せていたといいます。がわいそうに姉妹は、この大岩の下敷になってしまったのでした。
村人はこの姉妹の死を憐んで、岩の上に祠を建てて、二人を祀ったといいます。
それ以来石の上の祠のことを、おいしがね(大石鐘)と呼ぶようになったということです。
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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おいしがね
おいし と おかね は仲の良い姉妹であった。家は須走村にあって、貧しい農家であったから、農繁期になると、春は田植え、夏は草取り、秋は稲刈りと毎年出稼ぎに出ていた。
寒いので田植えの早い新屋(富士吉田市)と、おそい駒橋(大月)とでは一カ月も差がある。雇われ田植えは富士のすそ野から始まり、桂川の流れを追うように、日の変るごとに所を変えて、家から家へと雇われては稼いだ。
「二人でうちの田を植えてくれないだろうか。五百文でどうだろう」と、請け負いで頼まれることもあった。
姉妹は器用でとても早く、その上稼ぎ者で、よそのだれよりも早くから仕事を始め、だれよりも遅くまで仕事をしなくてはいられない性分であった。だから請け負いで頼まれるとうれしかった。請け負いとなると、早く植え終わって次の田をやれれば、それだけ稼ぎが多くなるので、何といっても稼ぎ者にとっては大きな魅力であった。
下夏狩(都留市)でのことである。そのときも請け負い田植えで、姉妹はいつものように、まだ東の空が明るくならないうちから出かけて、働いていた。昼になるとほかの田で働く人たちは昼食に戻ったが、姉妹は昼食の時間をつめて植え続けていた。人が半とき(一時間)休むところを、小半とき(三十分)に縮めて働き稼いだ。
先程から雲行きが怪しくなっていたが、突然地響きとともに大音響を発して、富士山が爆発し、空は噴煙に併せて稲光と雷鳴が交錯し、火山灰を交えた黒い雨があらしとなって降り注いできた。辛抱強い姉妹もこの天変地異に「それ逃げろ」と雇い主の家に戻ろうとしたが、南の空から黒雲に包まれたかたまがうなりを立てながら落下し、姉妹の姿はこつ然として消え去り、そこには巨岩が横たわっていたのである。
村人はあとになって、須走の父母も砂に埋まって亡くなったことを知り「家も財産もすべてを失ってとり残される姉妹を心配し、父母が道連れに呼んだのだろう」とうわさし、岩の下敷きになった おいし、おかね をあわれんでほこらを建ててまつった。岩はいつしか〝おいしがね〟とよばれるようになった。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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