物語
Old Tale
#0564
方外院の千匹絵馬
ソース場所:南巨摩郡身延町瀬戸135 方外院
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 2015年10月23日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 方外院の千匹絵馬 方外院は身延町から本栖湖へ抜ける【本栖みち】から少し入った瀬戸集落にある。本堂正面に掲げられている千匹絵馬でしられている。この「千匹絵馬」は、江戸時代末期の「安政の飢饉」の際、こちらの観音菩薩を信仰していた老人が「馬の霊が飢えて稲を食い荒すので各地から一人一匹の馬を奉納せよ」という霊夢をみた。ただ、生きた馬をそんなにたくさん奉納することは出来ないので、多くの馬の絵を奉納することにした。この事業は、近隣のみならず、甲府や駿河の人達へも浄財を募った大事業だったという。
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方外院の千匹絵馬
下部町の瀬戸地区にある竜湖山方外院は、甲州三十三観音霊場のうち第二十七番に当たるところで、この寺の本堂正面に千匹の馬を描いた大絵馬のあることで知られています。
大絵馬はあがり端の鴨居いっぱいに掲げられているもので、その大きさと言えば、横19.42メートル 縦2.24メートルで縁は黒塗りになっています。およそ日本一の大きさのものといえましょう。
この千匹馬の奉納のいわれは、江戸時代の末にあった安政の飢縫の折りに、稲の不作を嘆いて観音様に祈願した信仰深い老人がいて、あるとき「馬の霊が飢えて稲を食い荒すので各地から一人一匹の馬を奉納せよ」との霊夢をみました。そこで老人は村人にこのことを告げて、生きた馬の献上はできないので絵に描いた馬を奉納することにしたところ、その翌年からたちまち豊作が叶ったと伝えられています。
この大絵馬に千匹の馬を描いたのは茨城県安井村(現東茨城郡岩間町)の天麗という人で、文化五年(千八百八年)の生まれで、たまたま当時三沢の上田信昌方に寄寓していたそうですがやがて同家で病死し臨済宗瑞応寺(三沢日向)の境内に葬られました。
天麓の手により大絵馬の制作が始まったのは彼が六十五歳のときであったといわれます。
またその絵馬の奉納に協力した人々は近郷近在はもちろん、甲府辺や駿河の国の人々までに及び、当時交通不便の時代まことに大事業であったことが伺われます。大絵馬が奉納されてからは寺の例祭日にはふだん、荷運びや農耕に使われていた馬に、きれいな飾りを施して参詣させたという風景も近年まで見られました。
この大絵馬の完成までについやされた費用は残念なことに知ることもできませんが相当な巨額にのぼっていることと思います。またこれが完成したのは明治五年八月十五日ですが、掲揚の時には多数の善男善女が集って、にぎやかな大祭が行われたことが想像できます。(下部町)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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