0521│耳塚

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ソース場所:大月市賑岡強瀬425 全福寺

●ソース元 :・ 現地 説明板より      
●画像撮影  : 2014年09月08日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要]

全福寺の住職斎藤秀全は、近藤勇と同郷という縁もあって、甲陽鎮撫隊を寺に迎え入れ宿を提供した。官軍との衝突を憂慮した幕府は、大月の井上八郎を鎮撫使に任じた。井上は説得に努めたが、強硬派は説得に応じず脱走した。井上は直ちに追討し、山中湖付近で合戦となった。井上は首謀者十余名を斬り伏せたが、同じく徳川家に忠誠を誓う者に対し同情に耐えず、彼らの耳を削いで全福寺に持ち帰った。秀全は耳塚を建立して懇ろに葬ったという。昭和六十二年(1987)この地に耳塚観音が建てられた。
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耳塚観音建立の由来(由来書より)
1867年(慶応三年)徳川十五代将軍慶喜が大政を奉還し、翌年二月江戸を退去するや、これを不服とする新撰組の一隊が甲州勢と合体すべく甲州街道を甲府へ向かった。時に全福寺の僧斎藤秀全は近藤勇・土方歳三らと同郷の朋友なるを以て、彼らを寺に迎え入れ宿を提供した。
一方、徳川幕府は事態を憂慮し大月の井上八郎を鎮撫使に任じた。井上は命により鎮撫にこれをつとめたが、強硬派百余名は説得に応じず脱走した。井上は直ちに追討、山中湖付近において合戦となり、主謀者十余名を切り伏せた。供に徳川家に忠誠を誓うもの同士が相戦わねばならぬ過酷な運命の悲劇に井上は泣く泣く十余名の耳を削ぎ全福寺に持ち帰った。秀全和尚また心を痛め、耳塚を建立して懇ろに弔った。爾来耳疾平癒に効験ありとて遠近の参拝者あとを断たず今日に及んでいる。全福二十三世住職関係者と相談、昭和六十二年秋聖観音像を建立し、耳塚観音と命名し、横死者の霊を慰めると共に参詣者の身体健全を祈願し続けている。
お慈悲の眼あたたかく
まどかに知恵は満ちわたる
この世の母のおん姿
南無や大悲の観世音

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大月市賑岡強瀬425 全福寺
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