1192│大橋

ソース場所:甲府市国玉町 大橋五條天神社
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
・ 甲府市HP「おはなし小槌」 より https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/index.html
●画像撮影 : 2017年02月04日
●データ公開 : 2017年02月07日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要]
大橋
逢橋および会橋にも作り、また行逢橋とも称えられ、濁川に架けてある。ここは若彦路に当り、旅人の会う所であり、又御神幸の際三社の御輿が相会う所だからこの名が生じたか。或いは又、現今では僅かに幅一間、長さ四間の小橋であるが、延宝の頃はこの辺は湿地や沼が多く、橋長百八十間に及ぶ大橋で、官普請の場所であり、元禄の頃濁川を改修しても、尚橋長は七間余あった故に、大橋と云ったものであろうか。村人は「大橋の上では猿橋を語るな」といい伝えて居り、その理由は不明だが、彼はその深さを誇り、これはその長さを誇る故か。 (西山梨郡誌)
一説には、小さい橋だが大橋と名付け、この橋上で猿橋のことをいえば怪異あり、猿橋の上で大橋のことをいえば又怪異ある由。むかし武州より甲州へ来る旅人が猿橋を渡る時、国玉の大橋の話をすると、一婦人が出てきて、甲府へ行ったら、この文を一通国玉の大橋へ届け賜れといった。旅人は承諾してその文を預かったが、怪しく思って途中で密かに開いて見ると、この人を殺すべしと書いてある。驚いてこの人殺すべからずと書き直して、国玉の大橋へ持参した所、別の婦人が現れ憤怒の気色凄まじかったが、その文を見ると、殺すべからずとあるので、急に悦び顔をして文を届けた謝礼を述べ、旅人は無事であったという。 (裏見寒話)
又この大橋の上で、葵上の謡を唄えば道が分からなくなり、三輪の謡を唄えば、再び道が明らかになったともいっている。 (裏見寒話)
又むかしはここに目だらけの化け物が出たという。或る人が夜遅くこの橋を通ると、若い女が一人の子供を抱いて出て、この子の足袋の紐が解けたから結んでくれ、さもなければ私が結ぶ間、一寸抱いていてくれといった。その人は子供を抱くのは面倒だと思い、足袋の紐を結んでやろうとして、その子の着物をまくると、尻に目がいっぱいあって睨むので、驚いて逃げ出し、三の宮まで来ると一人の爺が宮の境内を掃いていた。その爺にこれまでの話をすると、爺は急に尻をまくり上げ「こんなものだったかえ」といったが、その爺の尻がまた目だらけだったので、その人はとうとうそこへ腰を抜かしてしまったという。 (松のしらべ方言伝説号)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国玉の大橋
(裏見寒話より)
甲府市国玉町に大橋という名前の小さな橋が架っていた。この橋の上で、大月の猿橋の悪口を言ったり、また猿橋の上でこの国玉の大橋の悪口を言ったりすると、橋の女神に呪われるという。
その昔、武州より甲州へ来る旅人が、猿橋を渡るとき、国玉の大橋の悪口を言った。すると、美しい婦人がどこからともなく現われ旅人に近寄ってきた。
「もしもし、旅の方、あなたは甲府まで行かれるのですか。もし甲府に行かれるのでしたら、国玉の大橋に女の人立っているので、これをその女の人に届けてください。」
と一通の手紙を旅人に手渡した。
旅人は、承諾してその手紙を預った。しかし、少しおかしく思ったので旅の途中で秘かに預った手紙を読み驚いた。
『この手紙を持参した者を殺せ』
と書いてあった。
旅人は少し考えてから、
『この手紙を持参した者を殺すな』
と書きなおした。
国玉町の大橋に着いてみると、目をつりあげ、今にも食いつきそうな顔をした女の人が立っていた。旅人は、預った手紙を渡した。女の人は手紙を読むと、急におとなしい顔つきに変わり、丁重にお礼を述べ大金をくれたというお話です。
甲府市HP「おはなし小槌」 より
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/index.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大橋は現在の城東大橋と国里橋の中間にあったそうです。今の濁川と大円川の合流地点辺りでしょうか。この合流点に大橋五條天神社があります。時代時代で河川の流域は変化しますが、この神社が大橋の場所を今に伝えています。