物語
Old Tale
#1281
やぶさめ
ソース場所:富士河口湖町勝山3951-1 富士御室浅間神社「やぶさめ」
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月05日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 鎌倉時代、源頼朝が鶴岡八幡宮で開催したことをきっかけに、流鏑馬は神事・儀式の一環として盛んにおこなわれるようになりました。以後、流鏑馬は武士にとって欠かせない武術の一つとされました。武士にとって弓術と馬術という大切な武技を儀式として極めたものが流鏑馬となりました。 建久四年(1194年)、源頼朝は富士山麓にて大規模な巻狩りを催した。これは、みんながてんでに狩猟するのではなく、大勢の勢子が獣たちを追い立て、選ばれた弓術にも馬術にも優れた者が、自在に馬を操り獲物に逃れる先を与えず、ピタリと狙いを定め矢を射ると云う催しでした。その故事に倣い、富士河口湖町勝山の富士御室浅間神社では、神事として今でも流鏑馬が催されています。
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やぶさめ
富士の裾野では鎌倉時代しばしば巻狩りが行なわれた。征夷大将軍 源頼朝が配下の武人達の体力の育成や武技の向上をはかつて獲物を追わせる行事は年々所を変え、建久四年(一一九四)には富士の北麓大原の圧もその舞台となった。
一方富士の裾野は浅間神社の神獣とされる猿がけもの達を支配していた。猿は頼朝の家来達が富士の南麓で行なった巻狩りの様子を、全山のけものたちに知らせた。「武士共は大勢の家来を勢子に使い大喚声をあげて俺たちを追うので、警戒もなにも必要ない。ざわめきや喚声のする方へ気をとられることなくただただ遠ざかれ。そうしないとつかまえられてすむどころか弓で射殺されるか勢子共に丸太でたたき殺されるぞ」と動物たちに行き合うごとに話を伝えた。
その上、猿は猿たちで浅間さまの神獣であるという自覚から、全山のけものたちの安全を図るための対策を練った。
四月、富士の巻狩りは富士の南麓白糸の滝や人穴(地名)のあたりから北麓へと移って来た。北麓のけものたちにしてみれば、はじめて見るきらびやかに装った武士達の姿を見たい心もないわけではなかったが、でかい喚声やら鉦をたたく音でこわいものみたさよりはこわい方が先にたって猿の伝言を守って必死に逃げた。
たくさんの動物の中には話を伝えられていない動物もいて、そのおそろしさを知らされていないから、のこのこと見物に出て、危険を感じたときには既におそく、ヒューと飛んできた矢に当って命を落したり、勢子にかこまれでめった打ちに斬殺されたのも少しはいた。
だが富士の北麓は樹木が多くてかくれやすかったし、何といってもごつごつした溶岩のために人馬がかけめぐるというわけにはいかないのが動物達にとって天恵であった。武士達にとっては思いの他の不猟で落胆この上もないさんたんたるものであった。
猿たちはこれを見てほっとしたが、かねての計画通り武士共をからかってやることとした。遠的の名人が矢をはなてばやっと届きそうなところへ、一匹二匹と姿を見せては狩猟の気をさそったり、集団であたり一面の樹木の枝をゆすって威かくしてみたりしながら、二合めの富士御室浅間神社の境内へとさそった。
巧妙な猿の誘導にのせられて、武人達がどっと境内になだれ込んだところで、猿達は一斉に姿を消した。わざと目立つようにしたものをただ目立たないようにしただけのことであったが、武人達は浅間神社の神獣である猿がその浅間神社の社叢に忽然と消えたことで薄気味悪さを感じた。たとえ武芸の向上、体力の錬成たりとも、みだりに殺生を行なうことの非道を悟したものであろうと、誰言うことなく言い出し、大がかりなこの度の巻狩りが余りにも不猟なのは「富士の神域を汚してはいけないという神のお告げであろう」ということになった。こうなるともういけない、神をおそれることはいまの人達には計り知れない想像以上のものがあったから、神前で祭事を行うこととなった。武人らしい祭事といえば通し矢をするとか、流滴馬を奉納することであったから巻狩りにあやかつて直ちに流滴馬を奉納することときまった。巻狩りに参加した大勢の武士達の中から、名だたる弓の名人が選び出されて技が競われた。腕におぼえの弓取り達も獲物に遇うのは偶然、偶然に恵まれなければどんな腕をもとうとも腕の試しようがないが、やぶさめとなれば別である。勇みに勇んで技を競い合った。かくて御室浅間神社の境内で催されたやぶさめは、頼朝以下走り衆まで立錘の余地なく境内を埋め尽した前代未聞の大観衆を集めてくりひろげられた。頼朝からは三的を射止めた全ての射者に弓矢の達人としてお誉めの言葉が下され、巻狩りの目的も充分に達せられ、この年の大行事は終った。
以来富士北麓では巻狩りが行われることがなくなり、代って四月二十五日、御室浅間神社で、流滴馬が行なわれるしきたりとなり、一時途絶えてはいたが勝山の里宮では今でも勇壮な流滴馬がつづけられている。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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