0339│行人塚

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ソース場所:市川三郷町市川大門5696 花園院

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会   
●画像撮影  : 2015年12月04日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 出羽三山信仰が盛んな地域では「男は一生一度は三山(月山、羽黒山、湯殿山)に行くもの」とされ、この登拝を「奥州参り」という。そして登拝後は、一般人でなく「行人」となり、地域の安泰や豊作などを祈願する行事に参加するようになります。地域を大切に考える行人になるための通過儀礼でした。六名で奥州参り(厳しい登拝を共にした)の後、葬地を共にしようと誓い、それを行人塚と呼んだと云う。

行人塚
花園院墓地内に行人塚と呼ぶところがあって、石祠が六基立ててある、これは昔 紺屋又兵衛、四郎左衛門、与左衛門ほか三名で湯殿山に参詣して帰り、その際、死後は葬地を同じくしようと固く誓った。故に六人の屍をここに埋葬して行人塚と呼んだ。一説には六人の者西国巡礼をして、死後同一場所に石塔を建てる事を約したとも伝えているが、やはり奥州湯殿山へ参詣して帰ってから建てたというのが本当らしい。 (西八代郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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市川三郷町市川大門5696 花園院
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