1296│若彦路

ソース場所:笛吹市八代町竹居5051 花鳥山
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年12月18日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要]
若彦路(わかひこじ)
西の空が、真っ赤な夕焼けに染まりだすと、このあたりでは、どうしたわけか、遊んでいた子どもたちが、まるで逃げるように一目散に家へ帰ってしまいます。
村はたいへん貧しかったのですが、ここニ、三年、この村にも盗賊が現われるようになり、家々を荒らし回っては、めぼしい物を持っていってしまうのでした。
ですから夕方になると、どこの家でも雨戸をかたく閉めて、通りには人っ子一人通らない悲しい村になってしまいました。
村人たちは、ただ「困った、困った」というばかりで、なんの手だてもなく、おびえるばかりでした。
そんなある日のこど、村人たちの集まっているところへ、年老いた一人のお百姓さんが、息をはずませながら飛び込んできました。
「みんな聞いてくれ。日本武尊とかいう、たいそう偉くて強いおさむらいが、家来をたくさん引きつれて、このあたりを通るちゅうから、その人に頼んで助けてもらったらどうずら」
「それはいい考えだ」
と、みんなはすぐに賛成しました。しかし、
「あれほど恐ろしい盗賊たちだ。もし討ち損じでもしたら、それこそ一大事だぞ」
と、誰かが心配顔で言いました。
「それはだいじょうぶだ。滅法強いおさむらいと聞いているから」
話は、一もニもなく決まりました。
そのころ日本武尊の一行は、富士山のふもとを通り、大石峠から鳥坂峠と、つぎつぎに悪者をやっつけて、花鳥の丘へさしかかったところでした。
村人たちは総出で花鳥の丘に登って、道の両側に並んですわり、
「どうか、わしらを助けておくんなって」
と、手を着き、ひたいに道の土が着くほど頭を下げて頼みました。
「よおし、心配するな。私が征伐してやる」
と、尊はこころよく引き受けてくれました。
尊の一行は、ある一軒の家に泊ることになりました。この家も賊におそわれて、まるで空家のようになってしまっていました。ただ、床のひじろ(いろり)のまわりに筵が敷いてあるだけの粗末な家でした。
尊は腕組みをしながら、家の中を行ったり来たりして、どきどき家来たちとなにやら相談をしていましたが、村人たちは、ただ不安そうに中をのぞきこむばかりでした。
そこへ、ぼろぼろの着物を着た一人のお百姓がやってきて、
「おさむらいさま。まずいかもしれんが、どうか食っておくんなって」
と、差し出したのは、真っ白な米のおにぎりでした。
自分たちは、ひえやあわを食べていたのですから、このお百姓にとっては、たいせつなたいせつなお米だったにちがいありません。
それを見ていた村人たちも、かわるがわる、とっておきの食べ物を運んできたのです。
尊は、村人たちのこうしたあたたかい心にふれて勇気百倍、つぎつぎに盗賊を討ちとって、村は、もとのような平和な村にかえったのです。
尊もたいへんに満足されて、この村で最後の食事に使った杉の箸を丘の上に突き刺して、村人たちを集めてこう言いました。
「私は、お前たちのやさしい心がとてもうれしかった。そこで、この村に名まえをつけて帰りたいのだがどうだろう。私がここにいると思えば盗賊も寄りつかないだろうし、安心して暮らしていけるだろう」
と言って、武居(たけい)・室部(もろべ)・神有(かみあり)と、みんな、尊に深いつながりのある地名をつけてくれました。
そして、日本武尊の一行はこの地を去っていったのですが、尊が丘の上に突き刺した杉の箸は、天にもとどかんばかりの大木となり、村人の暮らしを見守ってくれているのです。
そして、あの若くて強く、心のやさしいおさむらいのお通りになったこの道すじを、村人は若彦路と呼んで、花鳥山の一本杉とともに、尊の武勇を後の世に語り継ぎました。
ブランコの会 編集・発行(1985年)「みさかの民話」