物語
Old Tale
#0358
芍薬塚
ソース場所:笛吹市春日居町鎮目526-2
●ソース元 :・ 現地説明板より
●画像撮影 : 2015年12月17日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
・ 芍薬塚は個人邸宅の敷地内にあるため、ご留意ください。
[概 要] 武田勝頼が新府城を落ちていくとき、家臣に命じ幼い子供をひそかにかくまわせた。しかし、幼児は母を恋しく泣き暮らし終には病で命を落としてしまった。これをあわれに思い、幼児の好きだった芍薬の花をその墓の周りに植えて弔ったという。この墓を芍薬塚と呼んでいる。
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町指定史跡 芍薬塚(伝・武田勝頼遺児の墓) 昭和五十九年三月十六日指定
天正十(1582)年三月 武田勝頼は新府城から岩殿山目指して落ちていった。
この時武田の臣 渡辺加兵衛久郡は 主君勝頼の命により一族を率い、ひそかに二歳になる幼主(男子)を自分の在所である鎮目村にかくまった。しかるに幼児のため 日夜泣きあかし、翌天正十一年三月 不幸にも病死してしまった。
渡辺氏は自分の屋敷(鎮目一丁目)の一隅に葬り、芍薬を植えて後生を弔った。
その後 文化四(1807)年に加兵衛の子孫 渡辺太郎兵衛保らは墓の荒廃を嘆かわしく思い、新たに石碑をつくり、芍薬も株分けして、現在地に改葬した。
史跡は約五平方メートルで 石碑は高さ一メートル、幅三十九センチメートル、奥行三十三センチメートルである。
碑には正面に「武性院殿齋理周哲大童子」周囲にはその由来が刻まれ、選文ならびに書は、当時の徴典館学頭 富田武陵である。
平成元年三月三十一日 笛吹市教育委員会
現地説明板より
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