物語
Old Tale
#0553
長作観音堂
ソース場所:小菅村長作425 小菅村寺子屋自然塾内
●ソース元 :・ 内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
・ 富士の国やまなし 観光ネット より http://www.yamanashi-ankou.jp/kankou/spot/p1_4469.html
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 小菅村にある長作観音堂の本尊は、この地で出産の際亡くなった孝安天皇の皇女の霊を慰めるために聖徳太子が造ったと伝わり、安産守護観音として評判を高めている。
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長作観音堂
国指定重要文化財(建造物)鎌倉時代の建造物と推察され、如意輪観音像は本尊である聖徳太子作の像として、安産と養蚕祈願にご利益があると信じられ、村人はもちろん近隣の人々の信仰を集めています。
富士の国やまなし 観光ネット より
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4469.html
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片葉の葭(かたばのあし)
孝安天皇の皇女は、夫が朝廷の命により武蔵国の国司として派遣されたので、あとを追って夫のもとへと従者とともに旅を続け、小菅村にさしかかった。
江戸時代に、甲州街道が開発されるまでの甲州街道は、大菩薩峠を越えて小菅村を通り佐野峠を経て西原村から武蔵国へ出るという道であった。従者を伴っているとはいえ、皇女は身重の体であり、介抱されながらの道中である。交通の難所とされた大菩薩峠を越えたことが体にさわったのであろうか、武蔵国まであとわずかというのに、にわかに産気づき一歩も進めぬ状態となってしまった。
急なことで、民家へ運び込むゆとりもなく、葭草の茂る中に身を臥せ、葭草をにわか作りの祷としたが、大変な苦しみようで、お産のために呼び寄せられた村人も従者も、どうにも手の下しょうがなかった。
ちょうど痛みがやわらぎ、安静になったとき、近くの薮から八羽のキジが一斉に飛び立ったので、皇女は心臓も破れるばかりに驚かれ、再び苦しみが始まった。皇女は苦しみながら「私はキジが大嫌いです。みなさん、キジの肉や卵を食べないで下さい。そうしていただければ、お産の苦しみをわが身一つに負って、あなた方の安産を守りましょう」とあえぎあえぎ言い終わるとともに薨(こう)じられた。
従者も村人も、泣く泣く皇女のなきがらを長作の神楽入(地名)へ葬り供養したが、翌年から皇女のふせられた地に片葉の葭が生えるようになった。この不思議さに驚くとともに、村人は「都の尊いお方のお言葉だ。きっとお約束を果たしてくださるにちがいない」と、死際に残した皇女の言葉を固く信じ、決してキジ肉キジ卵を食べないこととした。
後に皇女の霊を慰めるために、聖徳太子が刻まれたという如意輪観音が武蔵国の国司から神楽入に届けられお堂が建てられたが、長作一帯の産婦は安産に預かろうと、知意輪観音に祈りを捧げ皇女の臥されたあたりから片葉の葭を切ってきて、お産の床にふせば、キジ肉を食せぬ効と相合わせて難産知らずで、霊験まことにあらたかであった。
後年、神楽入から現在地の長作に移された如意輪観音は、こうして安産守護観音として評判を高め、多くの信仰者を集め、安産を守り続けており、またキジ肉キジ卵を食べないという習慣は今もって守られている。
内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」 なまよみ出版
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