0559│国母地蔵

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ソース場所:甲府市東光寺3-4-27 東光寺西側

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
      ・ 甲斐志料集成3(昭和7-10年)  甲斐志料刊行会 編             
●画像撮影  : 2017年02月04日
●データ公開 : 2017年02月16日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 大昔、甲府盆地が湖だった頃、あるお地蔵様が神様に相談して、湖水の水を富士川に落とした。それで甲府盆地が出来たというお話がある。この計画を立てたお地蔵様が国母地蔵と呼ばれる。

大昔、甲府盆地が一面の湖水であった頃、この水を除きたいと二人の神様に相談をかけた。二神もすぐに賛成して、一人の神様が山の端を蹴破り、他の神が山を切り穴をあけ、湖水の水を今の富士川へ落とした。これを見た不動様も引っ込んでは居れぬと、河瀬を造って手伝ったので、この二神二仏のお陰で甲府の土地が現れた。山を切り穴をあけた神は、今甲府の西に穴切神社として祀られ、山を蹴破った神は蹴裂明神として知られている。瀬立不動が河瀬を造った不動様、また甲府の東光寺にある稲積地蔵というのが、始めにこの疎水計画をされた地蔵様である。もとは法城寺にあったのを、後に東光寺に移したもので、法城の二字は水を去り土を成すと読まれるという。 (日本伝記集)

東光寺の地蔵様は、甲斐の国を産み作ったので、国母地蔵ともいう。 (西山梨郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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国母地蔵  板垣村
東光寺境内にある。
法成寺の額がある。  この法成寺とは、以前は古上條にあった。信玄の時、荒川を隔てて参詣が自由にならないと、塔岩村(今の甲府市北部 昇仙峡のあたりにあった)へ移し、その後 東光寺 へ。東光寺にて地蔵堂を 法成寺 と号している。 甲陽軍鑑によると、「甲斐の湖」の話で、「水去りて土と成す」を示した字から法成寺と言う。
ここに大きな石の地蔵があり、自身の痛みのある所と同じ地蔵の個所を、撫でて祈ると痛みが薄れるという。または 味噌舐め地蔵 とも言われ、痛みのある人は願を掛け、治った時に地蔵に味噌を塗る。

「裏見寒話」 巻之二 仏閣 の項より

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以前は立派なお堂もあり、お参りする人も絶えないようなお地蔵さんだったそうですが、甲府空襲でお堂は焼けてしまったそうです。地域の方が雨よけのあずまやを修理したり、お地蔵さんのお世話をされていましたが、奥まったところにあるので、近頃はお参りする方も少なくなってしまったそうです。    (取材中、地域の榎本氏に伺いました)

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甲府市東光寺3-4-27 国母地蔵尊
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