1235│姥が懐、赤子坂

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ソース場所:北杜市長坂町中丸姥ヶ懐

●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月17日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

[概要]

姥が懐、赤子坂     (柿平)
鳥久保を出て高松山中の日野堰橋を渡る「学校道」と呼ばれた道がある。これは中丸区への通路でもあり、アカマツの林を抜けて県道17号線を横切りまっすぐに深沢に下る筋である。近頃では通行人も少なくなり、もちろん自動車などの通行は無理とあって、道は荒れるばかりである。深沢川にかけらはた木橋を渡ったあたりの右手山際には「室岩」というほら穴状の跡や「首岩」などの奇岩が立っている。この「首岩」から先は上り坂になっていて、土地の人々はこの坂を赤子坂と呼んでこのあたり一帯が姥が懐(うばがふところ)といわれる場所である。
むかし、深沢路に追いはぎや強盗が出た頃の話として、昭和初期に、次のような「姥と赤子」の伝説が採集されている。

春のおぼろ月のある夜、この坂道を東から西へ急ぐ一人の通行人があった。まだ薄ら寒い宵である。あたりに気を配りながら、いつしか足の運びを早めていた。そのうちに通行人は自分の耳を疑うかのようにふと立ち止まって、異様な物音に耳をそばだてた。よく聞くとそれは赤子の泣き声であった。恐ろしくなった通行人は二度とこの泣き声を聞くまいと両手で耳をふさぐようにして村へとかけ上って行った。
翌日、このことを村人に話すと赤子の声を聞いた者がほかにいく人もあったということだった。それ以来、この坂道は人通りがだんだん少なくなっていった。村の若者たちがこの声の主を突きとめようと、毎夜、この洞窟ふきんを見まわったが赤子の声だけが聞こえて、その姿は見えなかったということである。ただ、洞窟の中にはかすかに炭火の跡が残っていた。
やがて、夏も過ぎて秋から冬になると、
「もう赤子の声も聞こえないそうだ」
と、だれ言うともなく言い出した。そして、それと同時に赤子について村うちには次のようなうわさが持ち上がってきた。
信州大河原の豪族に使われていた姥は、主家の滅亡に際し主人の最後を見届けたうえ、託された一人の子を伴い辛うじてその場を落ちのびてきた。しかし、乳飲み子を抱えての慣れない旅路であるからどこというあてもなく追い来る敵を避けて、この洞窟に身をひそめた。そして、泣きしきる赤子をなだめ食を求めつつ主家再興の機を窺っていたのである。
しかし、ついに最期の時が来た。
ある秋の夜、突然この子を奪われた姥は狂気したように東の坂道に消えていく赤子の声を追って行ったが、まもなくして草深い深沢路の闇に青ざめた姥の顔が現われた。髪をふり乱し、全身泥にまみれて茫然自失した姥はやがて思い出したように、折りから水かさの増した深沢川に身を投げた。
その後も淋しい秋雨の夜などには深沢の谷間に赤子の泣き声と、それをすかす姥の声とがすすり泣くように聞こえたという。

小学校が長坂駅の近くに移って子どもたちの通らなくなった学校道。赤子坂の先1kmほどは人家の途絶えた草深い昔ながらの山坂である。数年前、東京都新宿区の健康施設が中丸寄りの道沿いに建設された際、伝説の地、姥が懐の「首岩」、「室岩」などの洞窟もその多くが新宿区の所有になったとのことである。
(小尾達朗・『口碑伝説集』)

長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場

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洞穴状の「室岩」などは今は新宿区の保養施設グリーンヒル敷地内

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北杜市長坂町中丸姥ヶ懐
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