1219│羽田姓

ソース場所:富士吉田市、山中湖周辺
●画像撮影 : 2016年08月16日
●データ公開 : 2017年08月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】 富士吉田市、山中湖村には「羽田」姓が多い。これは、秦の始皇帝時代に大陸から渡来した機織技術者集団の末裔や彼らから技術指導を受けた人々が、古来より機織が盛んだったこの地に多くいる証
秦の始皇帝に「長寿の霊薬」を探すように命じられた秦の徐福は長旅に備え、多くの技術者と供に渡来した。徐福にともない日本へ来た秦の技術者たちのなかで、日本にとどまった秦人やその子孫の多くは秦(はた)姓を名のったと言われている。
ただし、秦の始皇帝時代(在位 紀元前246年-紀元前221年 日本では古墳時代といわれるころ)以前の縄文時代より日本でも機織が盛んだったという。秦氏の渡来以前からの機織の職業集団も日本には存在したという。秦氏の渡来以降、国の中枢に近いところで力をつけていく秦氏からの技術指導などあったのかもしれないが、機織技術を持つ集団が官位のようにハタの名前をつけるようになっていったのではないでしょうか。もっとも技術交流の中で秦氏がそれぞれの地に血筋を残していき、現在の羽田、秦、幡多など多くのハタがつく姓は秦氏の末裔であることは否定できないと思う。
そのなかで、「羽田(ハタ)」姓だが山梨県内に586件(電話帳検索による)、そのうち富士吉田市に375件、山中湖村に134件と大半がこの地域に集まっている。富士吉田市で3番目に多い苗字となっている。全国的に見てもこの地を中心とした中部、関東に集中している姓である。
古代より、この地が機織の盛んな地であったことがこの事からもわかる。
このデザインソースに関連する場所
富士吉田市