1520│御太刀置場(おたっちゃば)と秋葉の祭り
ソース場所:北杜市長坂町大八田522 ほたるの里秋葉公園
●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2018年06月27日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要]
御太刀置場(おたっちゃば)と秋葉の祭り (大八田)
大八田・下村の北に秋葉蛍公園がある。
この公園のあたりは昔から、オタッチャパと呼ばれていた。昔このあたりに刀鍛冶が住んでいたからとも、刀の研ぎ師がいたからともいわれている。
ところで、この公園の北には秋葉神社が祀られていて、いまでも毎年8月28日に、下村区の人々によって盛大に祭りが行われている。
昔は「秋葉の火祭り」といわれて、近郷に知られた珍しい祭りであったということだ。
祭りの呼び物は何と言っても「火渡り」の神事だった。オタッチャパ原に幅3.6m長さ7mほどの火壇を設け、一番下に「オガラ」を10cmの厚さに敷いて、その上に薪を30cmぐらい積み重ねて法印が火をつける。
燃え上がると一心不乱に祈りをささげながら、太刀で火炎を切り払い、塩を撒く。火の色が黄色くなるのを待って、まず法印が素足で呪文を唱えながら最初に火の上を渡る。続いて参拝者が渡る。この火を渡ると病気をしないで息災でいられるというので、吾も吾もと続いた。神聖な儀式のせいか不思議と誰一人やけどもしなかった。
近郷にない珍しい祭りだったので、遠くの村からも大勢の人がつめかけ大変な賑いであったという。しかしこの珍しい神事も、明治の終わりの頃には絶えてしまった。
それから時がたち、いつのころからか秋葉の祭りの季節になると、オタッチャパの広場には、「神徳普斯界」「鼓腹謳泰平」と書かれた二本の大幟が建つようになり、祭りの日には、この広場は幟を目当てに集まった下村区の老若男女でうまり、夜遅くまで賑やかな祭りが行われるようになった。
8月の下旬、周囲の田圃の稲も穂が出そろい、豊作の期待に心弾む人々は秋葉さんに火難除けを祈るとともに、豊作に感謝しながら時を過ごすのだった。 (平島順二)
長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場