0327│金山千軒

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ソース場所:北杜市須玉町小尾金山

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
       ・ 現地説明板    
●画像撮影  : 2014年09月24日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

【概要】 北杜市須玉町小尾金山の辺りは、その名の通り昔「金山」がありそこで働く人達が多く集まる「金山千軒」と呼ばれた場所でした。金山廃坑後、人々は仕事を求めて各地へ去っていきましたが、今でも廃坑の跡や、民家に金鉱粉砕に用いた石臼が残っています。

本谷川の谷の奥の開けたところを金山といい、今は民家が二戸あるだけだが、昔は武田氏が甲金を鋳るために、数千人の人を送って金鉱を採掘させ、その人々の住家が繁昌し、金山千軒といった。今も廃坑の跡や、金鉱粉砕に用いた石臼が残っている。金鉱採掘の監督には武田の重臣があたり、小尾氏がその首位で、この地の領主として当村御門に住居を構えていたという。 (口碑伝説集)

出典:土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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増富金山
この附近は、金山平といい戦国時代には金山千軒と呼ばれる金山関係の集落があったと伝えられている。
北側の山の中麓には坑道が数箇所残っている。有井館の庭先には金鉱を砕いたと伝えられる石臼が残っているほか、増富温泉の近くには、金山とかかわる丹生と名付けた神社がある。又、増富の和田に「サイクガエリ」と呼ぶ地名があり、採掘に従事していた人々が廃坑になったおり移り住んだことから「採鉱帰」というようになったと伝えられている。
町内には、このほか斑山に金山跡と伝えられる坑道がある。         (現地説明板より)

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北杜市須玉町小尾金山
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