0338│牛が池

ソース場所:笛吹市御坂町大野寺2027 大野山福光園寺「牛池」
●ソース元 :・ ブランコの会 編集・発行(1985年)「みさかの民話」
・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 2015年07月02日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 平安時代この地は大変な旱魃に見舞われ、いよいよ生死にかかわるような時、この地に旅の僧が現れた。彼は大野寺境内の杉木立の中へ入ると、ここを掘るようにと言い立ち去った。色々と雨乞いをしてみても効果が無かったので、人々は僧の言葉にすがって必死に掘り始めた。しかしいくら掘っても何も出てこず、あきらめかけた時、地中から大きな牛がうずくまる様な形の大岩が出てきた。牛の声は天にも届くと云われていたので、人々は元気づき力を合わせて大岩を取り除くと、まるで栓が抜けたかのようにこんこんと水が湧き出してきました。それ以来、この地は厳しい旱魃に喘いだことが嘘のように、豊かな村になったと伝わります。
牛が池
♪ 湧いたよ 湧いたよ 生命の水が
これで おれたちゃあ
死なずにすんだ ♪
こんこんと湧き出す水に、村人は体ごとつかり、手に手をとって喜びあい、踊り狂うのでした。
いまを去る千百年のむかし。奈良から京都に都が移され、新しい仏教文化が起ころうとしていた時代を、私たちは平安時代と呼んでいます。しかし都から遠く離れた甲斐の国、私たちの大野寺村は、そのころ、たいへんな水飢饉に見舞われていました。
もともとこのあたりは、甲府盆地の南東にありますから、村全体が坂になっていて、水には難儀をしたものですが、その夏はまた格別にきびしいものでした。
くる日もくる日も日照りが続き、畑からは土ぼこりが舞い、田んぼは、土が八角に割れるほどに干からびてしまいました。
「ひえも、粟も、枯れはじめたぞ」
「井戸水も、とうとう、なくなってしまったぞ」
「このままでは、人間も家畜も死んでしまうぞ」
村人は、ぎらぎらと光る太陽をうらめしく仰ぐだけで、どうすることもできませんでした。
そんな時、一人の老人が、
「庚申様の石塔を動かしてお祈りをすれば、雨が降るって聞いたことがある」
と、むかしの言い伝えを思い出して話しました。さっそく、村人たちは、道端の庚申様に集まり、石塔を動かして、雨乞いのお祈りをしましたが、さっぱり利きめがありません。
思案にくれた村人は、今度は火を燃やして煙を天に登らせ、太鼓や鐘をたたいて雨乞いを始めました。こうすれば、天の神様に村人の願いが通じるかもしれないと考えたからです。しかし、これもむだでした。
そこで今度は、村一番の大牛を引き出してきて、打ったり、たたいたりして鳴かせました。牛が大声を出して鳴けば、雨を降らせるのを忘れて居眠りをしている神様も、目を覚ましてくれるかもしれないと思ったからです。しかし、これもむだでした。
もう、何をやってもむだだとわかった村人は、井戸の底からかき集めるようにしてすくった水を飲みながら、じりじり照りつける太陽を、うらめしく仰ぐばかりでした。
ちょうどそんなとき、村にお供を連れた旅の坊さんが現われました。菅笠に墨染めの衣をまとい、手甲脚絆にわらじばき。右手に錫杖を、左手に数珠を持った姿に、特別の特徴はありませんでしたが、鋭い眼光から、なみの坊さんではないことは、だれの目にもわかりました。
「もう、このままでは、干からびて、死ぬのを待つばかりでございます。法力によって水をおあたえ願えねえでしょうか」
「お頼みもうしやす」
「なんとか水を・・・」
と、村人は法衣のすそを引くようにして、お坊さんにお願いしました。旅の僧は、そのようすを笠の下からじっと眺めていましたが、くるりと振り返ると、もときた道を大野寺に向かって歩き出しました。
「これは、何かが起こるにちがいない」
そう受け取った村人たちは、坊さんの後ろから、おそるおそるついていきました。
大野寺は、杉木立にかこまれた甲斐の国の名刺(有名なお寺)のひとつです。坊さんは境内の中ほどに立つと、空を見上げ、左の手のひらを高々とかざして、静かに五指を曲げて、何かをつかむようなしぐさをしました。そして右手に如意宝珠(数珠)を握りしめて、お祈りを始めました。しばらくして、今度は、地面をその鋭いまなざしで見つめてから、大声で呪文を唱えて、広い境内を歩きはじめたのです。
一まわり。
ニまわり。
隅から隅まで、どんな小さな土くれまで見通すような勢いで眺めて歩いたのです。
そして、三まわりめに、杉木立のひときわ生い繁った本堂の裏手にさしかかると、ぴたりと足を止めて、足元の土にめがけて、持っていた錫杖を、
「うおっ」
とばかりに突き刺しました。
遠まさに眺めていた村人たちが、おそるおそる近づいていくと、坊さんは、
「この地を掘ってみよ。必ず水が出る」
と言われ、錫杖を引き抜くと、そのまま立ち去ってしまいました。
半信半疑の村人たちは、それでも坊さんのおっしゃることだから、今度はまちがいなく水が出るだろうと、それぞれに、がじや鍬、じょれんなどを持ち寄って掘りはじめました。
はじめのうちは、なんとか掘りすすんだものの、たちまち硬い石の層にぶつかり、それから先はなかなかすすめません。交替でなんども挑戦するのですが、
出てくるものは石ころばかり。
「あの坊さんにはめられたのか」
「こんなところから、水の出るわけがないよ」
「出るものなら、とうのむかしに掘っていたはずだ」
「ほね折りぞんの、くたびれもうけだ」
と、あてにならない作業に、ぼちぼち村人のぐちがもれ出したころ、カチリと鍬先が大きな石にぶつかりました。さらによく掘ってみると、それは奇妙な形をした大きな岩だったのです。
まるで大牛がうずくまっているように見えました。
「牛の鳴き声は、天にも届くというだ。これはいよいよ水が出るかもしれないぞ」
村人の一人がそう言ったので、みんなは急に元気づいて、岩をとり除きました。
すると、どうでしょう。まるで樽の栓が抜けたように、こんこんと清水が湧き出してきたのです。
♪ 湧いた 湧いたよ
生命の水が
これでおれたちゃあ
死なずにすんだ
弘法さまの おかげだよ ♪
あの旅の僧は、実は空海(七七四~八三五年。真言密教を日本で最初に始めた人)、のちに弘法大師と呼ばれた、徳の高いお坊さんだったのです。
♪ 弘法さまは おれたちの
生命だ 光だ 力の神様だ
おれたちゃ これで 長生きできる
弘法さまの 功徳がある ♪
村人たちは、手に手をとって踊り出し、なかには、着物ごと湧き水の中に飛び込んでうれしがる者も出るほどでした。
村人たちはさっそく筧を通して飲み水に使い、余った水は、溝をつくって、たいせつな作物へ順に送って、一滴のむだなく、田や畑をうるおしました。
その夜、村人たちは、はげしく雨の降る音に目を覚ましました。どしゃ降りの雨かと思って雨戸をあけてみるど、満天に降るほどの星が輝いていました。そのつぎの夜も、そしてまたつぎ夜も同じように雨の音が聞こえたといいます。
不思議なことに、この水は、寺に人が寄ったり、田んぼに水が欲しいときになると、自然に水の量が多くなり、それほどいらない時には、またもとの水量に戻ってしまうと言うことです。
四月八日の花まつりには、この水で甘茶をつくってお釈迦さまにかけますが、その甘茶を持ち帰って墨をすり、手習いをすれば、腕がめきめき上達するといわれます。これはさしずめ、日本の三筆の一人どいわれた空海の手が、知らず知らずに子どもたちに伝わっていくからでしょう。
大野寺村は、きびしい水飢饉に悩んだことがまるでうそのように、豊かな村に変わりました。「牛が池」は今もなお、村人たちにかけがえのない生命の水として、たいせつに使われているのです。
ブランコの会 編集・発行(1985年)「みさかの民話」
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牛池
昔、東郡の大野寺村が大変な水飢鍾に見舞われました。「ひえも粟も枯れはじめたぞ。」 「井戸水もなくなってきたぞ。」 村人はギラギラ光る太陽を迎ぎながら、いろいろの雨乞いをしましたが、一滴の雨も降りません。
そんな折、眼をギラギラ光らせた立派なお坊さんがこの村に立ち寄りました。村人はすがるおもいで「このままでは干からびて死ぬのを待つばかりです。あなたの法力で水をお与えください。」とお願いしました。お坊さんは空を見上げ、右手を高々とあげて、しばらくして地面をジッと見つめ呪文を唱えながら、境内を隅ずみまでまわり、裏庭にある杉木立の中に入ると、持っていた錫杖を「ウオッ!」とばかり気合いを入れて地面に突きさしてから、遠まきに眺めていた村人たちに「この地を掘ってみよ、必ず水が出る。」 といってスタスタと立ち去りました。
村人はお坊さんのいわれたとおりカを合わせてそこを掘りましたが、硬い地面ですから石ころばかり出てくるのを見て「あの坊さんにはめられたか。」と口々に愚痴を言い出しました。しかし、やがてのことに鍬先が大きな石にぶつかりました。それは大牛がうずくまっているような岩でした。みんなは急に元気づいて岩をとりのぞきました。するとまるで樽の栓が抜けたように冷たく澄んだ水が、こんこんと湧き出してきたのです。
「湧いた!湧いた!!生命の水が。これでおれたちゃ死なずにすんだ。」 と、てんでによろこび合いました。
旅のお坊さんは実は「空海」、のちに弘法大師とよばれた徳の高いお坊さんだったのです。村人たちは旅のお坊さんに感謝をしながら筧を通して飲み水に使い、溝を掘って一滴のむだなく田や畑をうるおしました。ふしぎなことにこの牛池のみずは、寺に人が集まったり、田んぼに水が欲しいときになると、自然に水の量が多くなり、大野寺村は昔水飢鐘に悩んだことがうそのような、豊かな村に変りました。(御坂町)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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