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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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#0352

毘沙門天像

ソース場所:市川三郷町大塚4277 長昌院 毘沙門堂


●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会   
●画像撮影  : 2016年01月26日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 市川三郷町大塚の長昌院に祀られている毘沙門天像は、武田勝頼由来ではないかとされていて、この寺に安置されるにあたっては、毘沙門天像自らこの地に安置される事を希望したと伝わる。 とても小さな像ですが、雨乞いの儀式にはとてもご利益があると伝えられている。

毘沙門天像
天正十年三月、徳川家康・織田信長の合勢が攻めてきたので、武田勝頼は峡南市川に迎え戦い、この合戦に勝頼は、黄金の毘沙門天の甲飾りある具足を用いたが、両軍 平塩岡で奮戦中、この毘沙門天像が缺落ちて紛失した。数年後市川村民と四尾連村民と相戦い(原因不明)石合戦をした時、四尾連村民の拾った石が異様に重いので、よく見ると黄金の毘沙門天像であった。四尾連の衆は密かに自村へ持ち帰り、村内の某寺に安置したところ、市川方がこれを聞き、折あらば奪取せんと企てていた。その後四尾連では村内に悪疫が流行し、寺僧に占わせてみると件の毘沙門天の祟りだという。村民は驚いて六月一日の祈祷をすると、毘沙門天からお告げがあって、大塚の郷 延命山長昌院に行きたいといった。四尾連・大塚の両村民合議して、長昌院に遷祀を決定し、或る秋の日、大塚村民は御輿をもって毘沙門天を迎えに行った。市川村民はこれを聞いて好機至れりと、その途中を狙って待っていた。大塚村では予めこれを推知し、二三人の者が別に茸狩りに扮して、茸籠の中に仏像を入れ、山伝いに九一色村を経て帰村したので、市川村民が御輿を襲うても空しかった。毘沙門天像はこうして大塚村の長昌院に入り、境内に毘沙門堂を建立して安置した。黄金の一寸八分の立像で、現在寺宝となって居り、長昌院の寺紋は武田の紋と同じく剣菱を用い、また旱天の際この像を水中に浸せば忽ち雨が降ると言い伝えている。 (西八代郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

このデザインソースに関連する場所

市川三郷町大塚4277 長昌院

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