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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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Old Tale

#1102

水手の水(興因寺・積翠寺)

ソース場所:甲府市下積翠寺町1220 興因寺・甲府市上積翠寺984 積翠寺


●ソース元 :・ 甲府市HP「おはなし小槌」 より https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/index.html
●画像撮影  : 2015年10月19日(興因寺)・2017年02月11日(積翠寺)
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 江戸時代、後陽成天皇の子、良純法親王は勅勘をこうむり甲斐国に住われた(アーカイブNo.0502「神輿の川渡り」、No.1272「八読の筬」)。その時、近くの集落の人々は、どう接したらよいのか分からないくらい遠い存在の親王におっかなびっくり接し、時間とともに、親王の人柄も相まってだんだん慣れていき、親王が赦されて帰洛されれば、京まで足を延ばすようになる。このお話は少し滑稽話のようだが、宮さまの人柄にふれ、尊敬しながらも「俺はこんなに親しくしてもらったんだ」と自慢したい気持ちが見えるおはなしです。

(信玄公積翠寺物語より)
後陽成天皇の子、良純法親王は勅勘をこうむり興因寺に住われた。そのときの話です。
興因寺付近は水が悪いので、毎日一人の百姓が上積翠寺から水を運んでいた。しばらくして、百姓は宮様に慣れてくると世間話で宮様を楽しませるようになっていた。
ある日、百姓は宮様から、
「私が京に帰るようになったら訪ねて来るがよい。」
とお言葉を頂いた。
五年後、宮様は赦されて帰洛された。百姓は宮様の言葉を励みに一生懸命家業にはげんでいた。
しかし、年を取った百姓は、ふと宮様が言った言葉を思い出した。百姓は、せめて死ぬ前に一度でもいいから京見物でもしたいものだと思った。
そうなると、やもたてもたまらず京に出発した。
土産は、宮様の好きな水を樽に入れた。京では宮様になかなか会うことができずにいた。やっとのことで宮様に面会が叶い、土産の水を呈上した。
宮様から、
「健在か?」
というお言葉と宮様からのお土産を頂いた。
宿について宮様のお土産を開くと少量の煙草。
百姓は自分の土産はたいしたことがないのに、なんだ煙草と思い一服した。その時、宿屋の前を歩いていた煙草通は、薫りが特上のものにおどろいた。汚い宿屋にどんな人がいるのか興味をもった。
さっそく中に入ってみると百姓が吸っていた。
煙草通は、百姓から半分を譲り受けた。謝礼に多額のお金を貰った百姓は、吸っていた煙草が高価なものだと気がついた。
いままで、馬鹿にしていた宮様の心を知り、残っていた煙草を吸わずに村人に分けたということです。

甲府市HP「おはなし小槌」 より
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/index.html

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八の宮様に運んだ水は、積翠寺よりさらに要害山に分け入った所の岩から湧き出していた水だそうです。
後陽成天皇第八皇子の良純親王(八の宮様)は、天皇の怒りにふれ寛永20年(1643)甲斐の天目山に配流される。そして湯志麻(甲府市湯村 旅館明治の辺りに住まわれた)に、その後 興因寺に12年、さらに明暦元年(1655)に薬王寺(市川三郷町)に移り五年間謫居[たくきょ]された。そして配流から17年の後、万治2年赦免され京に帰られた。
十七年間の長い配流で、県内各地に八の宮様の話が伝わっている。甲府市湯村の御居所跡。北杜市武川町山高の高龍寺に伝わる御染筆。興因寺時代に詠まれた壊京の情にあふれる『鳴けばきく きけば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす』のうた。積翠寺に伝わるご愛用の品々。相川村の人々とのふれ合いにまつわるお話。市川三郷町に伝わる祭『神輿の川渡り』(八の宮様が橋の上より神輿が通るのを御覧になっていたので、同じ橋の上を通ることがはばかられ、神輿を担いで川を渡った。No.0502 参照)などがある。庶民の「お寂しいことだろうな」と思いながら、天上人の宮様を仰ぎ見ていた様子が伝わってくる。
積翠寺の八の宮様ご愛用の硯箱や煙草盆は昭和46年10月08日、甲府市の指定文化財として登録されています。

八の宮様について、積翠寺の住職に御教授を賜りました。興因寺の写真と共に積翠寺の写真も載せます。

このデザインソースに関連する場所

甲府市下積翠寺町1220 興因寺

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