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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、 産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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#0305

鰻沢

ソース場所:市川三郷町上野 うなぎ沢、市川三郷町上野4308 光勝寺


●ソース元 :・ 「まんが日本昔ばなし~データベース~」     http://nihon.syoukoukai.com/
●画像撮影  : 2015年10月16日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 若者たちが川で「毒もみ漁」(川などに毒を流し、魚が仮死状態になったところを捕まえる漁法。「根流し」とか「毒流し」とも呼ばれる。かつては世界中で行われており、その毒はその土地にある有毒植物が使われていた。日本では主に山椒が使われていた例が多かった。1951年施行の水産資源保護法により、日本では調査研究のため農林水産大臣の許可を得た場合を除き禁止されている)しようと、準備しながら昼食を取っていたところへ一人の娘がやってきて毒もみをやめてくれないかと頼んできた。もめるのも面倒と若者たちは「わかったわかった」と言い、娘に昼食の粟飯を勧めた。おいしそうに食べる娘をなんとなく見ると首筋に大きな傷跡があるのに気づいた若者がいた。気の毒だなと思いながら帰っていく娘を見送った。さて、腹ごしらえも済んだことだしと、若者たちは「毒もみ」をはじめた。沢山の魚を捕まえて大喜びしていると、とても大きな鰻が浮かんできた。「この沢の主に違いない!みんなで腹いっぱい食べよう。」と、一人が大鰻を捌きだした。すると腹から粟粒が。ふと鰻のエラの辺を見ると、あの娘の首の傷と同じ形の傷がありました。 それ以来、村人たちはこの沢を「鰻沢」と呼んで近づかなかったと伝えられています。

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鰻沢

ある村で(三珠町の樋田部落で光勝寺の)お祭りが終わった後に、鰻を取る事になりました。 若者達は『毒もみ』といって木の幹や根っこから毒を取ってそれを団子にして、川に投げ込むという方法で鰻を取る事にしました。 簡単な小屋を作って粟飯(あわめし)で食事を取っていると、小屋に1人の娘がやってきました。 この近くに住むという娘は、若者達に「毒もみは止めておくれ」と、いいました。驚いた男たちは、この娘に粟飯をすすめました。 おいしそうに粟飯を食べる娘を見ていると、首筋に大きな傷痕があるのを見つけました。粟飯を食べおわった娘は「そろそろ帰るね。本当に毒もみは止めておくれよ」 と念を押して帰っていきました。 しかし若者達は、娘の言葉を無視して毒もみをはじめました。 毒団子を池に投げ込むと、バシャバシャバシャという音と共に鰻や魚が浮かんで、若者達の方に流れてきました。大喜びで魚を取りあげていると、しばらくして巨大な大鰻が浮かんで若者達の方に流れてきました。 「きっとこの沢の主じゃな!」と、一人の男がご機嫌で鰻をさばいてみると、鰻の腹から粟粒がこぼれてきました。そして鰻のエラの部分を見ると、あの時の娘と同じ大きな傷がありました。男は一目散に逃げ出し、叫びを聞いた別の男達も、鰻の傷を見て慌てて逃げ出したのでした。 鰻の主が娘に化けて命乞いに来たのでしょう。村人達はこの沢を『鰻沢』と呼んで、近づかなくなったという事です。

「まんが日本昔ばなし~データベース~」http://nihon.syoukoukai.com/

このデザインソースに関連する場所

山梨県西八代郡市川三郷町上野4308

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