0534│天目山

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ソース場所:甲州市大和町木賊122

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会         
●画像撮影  : 2014年09月19日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 天目山棲雲寺  開祖 業海本浄は文保2年(1318年)、元に渡り、天目山に学んだ後、この地を修業の場に選び天目山護国禅寺を創建した。この寺は、甲斐守護 武田氏の庇護を受け栄え、「天目山」と称されるようになった。共に元に渡った遠渓祖雄は兵庫県丹波市の瑞巌山高源寺を開き、同じように栄えたため、棲雲寺を「東天目」、高源寺を「西天目」と呼ぶようになったという。

武田家、のちには徳川家康からも庇護されたので、多くの寺宝を所有するが、それにもまして庫裡裏手の急斜面にある石庭は花崗閃緑岩の巨石組み合わされており、如何にして作ったかと驚くばかりの庭園です。業海禅師が水の力に着目し、修業として作り上げていった素晴らしい庭園です。

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天目山棲雲寺は、貞和四年(1348)業海本浄の創立で、これより先業海は文保年中元に渡り、元国の天目山に参じ、中峯禅師、普応国師に学んで、帰朝後この山を開いた。その頃丹波左冶の瑞岩山高源寺の開祖遠渓祖雄も、業海と同じく元に入り、中峯に学んだ同門の人で、帰国後やはり自分の寺を天目山と号した。よって棲雲寺を東天目、高源寺を西天目というのである。 (東八代郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

 

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