


物語
Old Tale
#1137
裂石と萩原部落
ソース場所:甲州市塩山上小田原 萩原口留番所跡 近く (35.733126,138.789685)
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2016年11月13日
●データ公開 : 2016年11月18日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。










[概要] 甲州市塩山上萩原、中萩原、下萩原の萩原という地名は、萩原口番所跡近くにある裂石が名前の由来です。行基が大菩薩山中で行化(ギョウケ 修業を終えて教化のため巡り歩く事)中、大石が二つに裂け、その裂け目から萩の大木が生じたことからそのように呼ばれるようになったと伝わる。
萩原部落 東山梨郡神金村、大藤村、塩山町
今から凡そ千二百年前、聖武天皇の天平十七年、行基菩薩が甲斐に来り、大菩薩嶺の山中に行化していると、霊雲湧き、山谷鳴動し、五丈余の大石が俄かに二つに裂け、裂け目より一本の萩の大木を生じた。行基これを伐って三体の観音菩薩を彫刻し、その一体を、山麓の神金村上萩原の地に安置し、一寺を創立して裂石山雲峰寺と号した。それ以来この辺一帯を上萩原という。他の一体を、今の大藤村中萩原の観音堂に安置し、この地方を中萩原と名づけ、残りの一体を、今の塩山町下萩原の長昌院に安置して、この地方を下萩原と名づけたという。 (東山梨郡誌)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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