1190│夢見山

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ソース場所:甲府市古府中町 夢見山

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会     
       ・ フジパンhp  http://minwa.fujipan.co.jp/area/yamanashi_013/            
●画像撮影  : 2017年02月04日
●データ公開 : 2017年02月06日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要] 夢見山の頂上に古い大石がある。この石のもとで眠ると争いの吉凶を占うような内容の夢であったり、アーカイブNo.1561「萬年山 大泉寺」のように、信玄の父 信虎もここで信玄の誕生と、彼が曽我時致の生まれ変わりだと知らされる夢(つまりは跡継ぎにふさわしい勇者であるという予知夢)を見ているという。

夢見石
夢山の頂上に古い大石がある。信玄公が或る日この山に登り、この石に腰を下ろして眠ると、夢に一美女が現れ、自分は三味弾きだから一曲奏でようといって、持参の袋の中から数多の寄木を取り出して組み始めた。三味線を組み立て終わって、弾き始めようとする時目が覚めて、見れば身体中が蜘蛛の糸で巻かれていた。それ以来蜘蛛はいつも信玄公の枕頭に現れて、戦の吉凶を占ってくれるので、夢山の主は蜘蛛であるといわれ、この石に休んで眠る者は誰でも佳夢を見ると伝えている。今もこの山には蜘蛛が多いという。 (西山梨郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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『夢見山と夢見石』
― 山梨県 ―
語り 井上 瑤
出典 「山梨の昔ばなし」和綴じ小冊子
整理 六渡 邦昭
提供 フジパン株式会社

むかし、日本中の武将(ぶしょう)たちが戦(いくさ)をしておったころ、甲斐の国(かいのくに)、今の山梨県は、武田信虎(たけだのぶとら)という人によって治(おさ)められていた。
あるとき、駿河(するが)の今川氏(いまがわし)が大軍(たいぐん)を率(ひき)いて甲斐の国に攻め込んで来た。けれども甲斐の軍勢(ぐんぜい)は、飯田河原(いいだがわら)で見事打ち破って、信虎は館の近くにある小高い山で、戦に勝った祝いの宴(えん)を開いたそうな。
山の上ですっかり酒に酔った信虎は、よい心持(こころもち)になって、うとうとといねむりを始めたと。
すると夢の中にひとりの女が現われて、
「今、奥方が男の子を産み落とされました。この子こそ、曽我五郎時致(そがごろうときむね)の生まれ変わりでございます」
と言うたと。
曽我五郎といえば、あだ討ちで有名な強い、強い武士(ぶし)だ。

はっと信虎が目を覚(さ)ますと、まもなく館(やかた)から、若君(わかぎみ)誕生の知らせがあったと。これが後(のち)の武田信玄(たけだしんげん)であるが、どうしたものか、この子は右手をしっかり握(にぎ)ったまま開かなかったと。
その頃、ひとりの坊様が駿河の山麓(さんろく)を旅していた。夜になって一軒の古びた家に泊ったら、そこの主人(あるじ)が、
「私は曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と申しますが、弟の五郎時致が、先程甲州(こうしゅう)、武田信虎様の御子(おんこ)として生まれ変わりました。その証(あかし)に、若君の右手にはわが曽我家の家宝、金竜(きんりゅう)の目貫(めぬき)の片方をしっかり握っております。どなたが若君の右手を開けようとされても開けられません。館の東南(とうなん)、大泉(だいせん)という泉で洗えば右手は開くでしょう」
と言うて、ふところから目貫のもう片方を取り出して坊様に渡したと。坊様が、
「そんな不思議がまっことあるものじゃろうかい」
思うて、手渡された目貫をまじまじと見ていたら、その間に主人は、かき消すようにいなくなってしもうたと。
次の朝、坊様は甲斐の館へ急いだ。館へ着くと、信虎に会い、不思議な輪廻の話を申し上げ、目貫を渡したと。
そうして信虎ともども大泉へ行き、そこの水で若君の右手を洗ってみたら、手はたちまち開き、中から目貫の片方があらわれたと。
こうして若君は、曽我五郎時致の生まれ変わりと言われるようになり甲斐の国じゅうの者、皆々喜んだと。
信虎が夢を見た山には”夢見山(ゆめみやま)”という名がつけられた。
やがて若君は信玄となり、父信虎と同じく戦国の世にふさわしい武将となった。
信玄も合戦(かっせん)のあい間には、夢見山にのぼるのが好きであったと。
ある日、いつものように夢見山にのぼった信玄は、頂上(ちょうじょう)の大石(おおいし)にもたれて、うたたねをしたと。
すると夢の中にひとりの女があらわれて、三味線(しゃみせん)をひき始めたと。
信玄が目覚めると、その体にはクモの糸がぐるぐるに巻かれていたそうな。
そんなことがあってから、クモはたびたび信玄の夢にあらわれるようになった。そして白い糸を吐いては戦勝(せんしょう)を告(つ)げ、赤い糸を吐いては負け戦になるから用心しろと知らせてくれたと。
そのためか、信玄は大層(たいそう)戦に強い武将となっていった。
信玄がもたれて夢を見た石は”夢見石(ゆめみいし)”と呼ばれるようになり、この石に腰かけて眠ると、良い夢が見られると、今だにいわれている。

これでひっちまい。

フジパンhp  http://minwa.fujipan.co.jp/area/yamanashi_013/

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夢見山からは甲府盆地と奥に輝く富士山を一望できる。躑躅ヶ崎館からわざわざ信虎・信玄親子がこの地を訪れていたのは、夢のお告げ目的ばかりではなく、この地で富士の高嶺を望みながら天下国家を熟考していたのではないでしょうか。

躑躅ヶ崎館からは、躑躅ヶ崎と夢見山に隠れ富士山はわずかしか見えない。

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