1253│猫の忠臣蔵(旧 上九一色村に伝わる話)

ソース場所:甲府市古関町
●ソース元 :・ 土橋里木(1975年)全國昔話資料集成16甲州昔話集 岩崎美術社
●画像撮影 : 201年月日
●データ公開 : 2017年10月27日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概要] 昔、お爺さんとお婆さんが仲良く暮らしていましたが、二人は子供には恵まれませんでした。せめて猫を飼ってかわいがろうと、大事に大事に育てて、いつしか13年の年月が過ぎていました。ある日、二人は「猫のぶちも良い年になった。ぶちが先立つならともかく、自分たちが先立ち、ぶちが残される事になったらどうしよう」と心配していました。それを聞いていた猫は「お暇をくれないか」と云う。「死ぬまでお前と一緒に過ごしたいと思っていたんだよ」とお爺さんもお婆さんも猫を引き留めるが猫は「どうしても私は出ていく事にしました。ただ、長年二人にはお世話になってきました。恩返しと言っては何ですが、お二人は踊りとか芝居とか好きなものを是非、お見せしたいと思う。準備もあるので来月三日に一ヶ原に来てください」と言って猫は姿を消した。約束の日、約束の場所へ行くと、ぶちとその仲間の猫たちが素晴らしい忠臣蔵のステージを見せてくれた。それはまるで夢の様な舞台で、お爺さんもお婆さんも幸せな気持ちに包まれた。そして、すべての幕が終わり、猫の鳴き声が三声聞こえて、すべて消えてしまったと云います。この恩返しした猫は、なかなかのエンターティナーでした。
猫の忠臣蔵
昔、お爺とお婆があった。二人が夫婦になってから三十年も経つが、子供が一人もない。お爺お婆は淋しく思って、たとえ猫の子でもええから、楽しみに飼って見るじゃアないかと常々話し合っていた。そのうちに一匹の猫の子が、どこからともなくやって来た。お爺お婆は大へん喜んで、その猫の子に「ぶち」という名前をつけ、ぶちやい、ぶちやいと呼んで、うまい物をくれたり、膝へのせてもちあすび(玩弄物)にしたりして、大事に育てた。
そうして十三年が間飼ううちに、猫はなかなか大くなって犬ほどもあるようになり、家へ出入りをするのにも、戸障子を独りで開けたり閉めたりできるほどになった。ある日お爺とお婆で話をして、「なア爺さん、俺等も齢オ拾っとオけんど、ぷちも十三て言えば随分齢オ拾ったもんだ。これじゃア俺等ン先イ逝くか、ぷちン先イ逝くか、どっちン先だか分からん。ぶちン先イ死げばええけんど、もし俺等ン先イ死げば、後イ残っとオぷちア可哀そうどオ」と言って憂とい(悲しい)話をし合っていた。
猫は爐端で居眠りをしながら、聞くともなしに二人の話を聞いていたが、間もなくお爺お婆の前へ出て、「俺ァ長年お前方に養ってもらっとオけんど、今度ァ暇ァ出いてくりょオ」と言った。それからお爺お婆は驚いて、「汝ア、ムショウに(急に)なぜそんなことオ言うどオ。俺等ァ死ぐまでア汝といっしょに暮らすつもりでいるだから、どうだ、今少しいっしょにいて見るじゃアないか」
と言って頻りに止めたが猫は「俺ァ今度ァどうでも出て行く。その代り、爺さんや婆さんにも長い間厄介になっとオだから、その恩返しに、二人の好きのことを、踊りッて言えば踊り、芝居ッて言えば芝居、何でも望みのとおりにして見せる」と言った。
お爺お婆は、元より芝居が大好きだったから、「俺等ァまだ生まれてッから、忠臣蔵の芝居をぶっ通し見たことンないが、もし汝ン見せてくれるじゃア、忠臣蔵を初めッからお終いまで、ぶっ通しにやって見しょオ」と言うと、猫は「よしよし、そのくらいの事ァわけアない。そんじゃア来月の三日まで待してくりょオ。そしてその日には、爺さんも婆さんもーケ原(原の名前忘失)へ来てくりょオ。俺ン必ず迎いに出るから」と言って約束をし、首の鈴をチリチリと鳴らかしながら、猫はどこともなく出て行ってしまった。
やがて来月の三日になると、お爺お婆は猫と約束のとおり、ここでいえば駿河境の根原のような所へ出て行った。そしてそこで待していたが、何分猫が出ては来ぬ。お爺お婆は待ちくたびれて、「猫ア化けるもんどオッちうが、これァうまく騙されたかな」と話し合いながら、そこの石塚へ腰をかけてなおもしばらく待っていて見た。すると向こうの草の中からチリチリンと鈴の音がしたので、爺さん婆さんは喜んで「アレ、あの音は家のぶちン首の鈴の音に違いない。これァいよいよ猫ン来たぞよ」と言っている聞に、もうそこへ猫がヒョイと出て来た。猫は「爺さん婆さん、よく来てくれとオ。そんじゃアいよいよ芝居をしるから、ゆっくり見て行ってくりょオ」と言って、向こうへ行ったかと思うと、今まで何にもなかった草ッ原に立派な舞台がかかって、その前には白い幕がズーッと張られた。
やがてその幕が引けると、舞台の上には、今まで見たこともないような良エ役者が出て来て、きれいな衣裳をつけて、忠臣蔵の初段から芝居を始めた。なかなか美事な芝居で、お爺とお婆はただびっくりして、「うまいなア。ええなア。こんな芝居を見る事ァ生まれて初めてどオ」と言って見ているうちに幕が下り、また上ると、もう次の芝居が始まっている。お爺お婆はまた「ええなア、きれいだなア」と感心して見ていた。そうして幕があいてはしまり、あいてはしまり、とうとう忠臣蔵を十段すっかりぶっ通してやってしまった。
どの芝居もどの芝居も実に美事で、お爺とお婆はただもう嬉しくて嬉しくて、まるで夢のような心地でいると、急に、今まであった舞台も何も一切消えてなくなり、猫は三声鳴いたまま、どこかへ行ってしまった。
そうして何ぼ待っていても、猫はそれっきり帰っては来なんだ。
(昭和六年十一月八日夜 河野佳光氏)
佳光さんの話では、猫は目方が八百匁になれば化ける。そこでお日待をするものだと言う。また一貫匁になれば、家にはいられなくなって、その猫は必ず家出をするものだと言う。
土橋里木(1975年)全國昔話資料集成16甲州昔話集 岩崎美術社