1538│蓙[ござ]八幡

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ソース場所:山梨市北654 大井俣窪八幡神社

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影  : 201年月日
●データ公開 : 2018年09月11日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

 

[概要]

蓙[ござ]八幡
窪八幡のことをいう。三月と八月の十五日に祭礼があり、三月は応神天皇崩御の御葬送の楽を奏するが故に、敢えて清浄をしないが、八月は甚だ不浄を忌む。この村の者は八月に入って難治の病をすれば、祭礼の前に死ぬことを恐れて病者を山上に登らせ、小屋をかけてその中に入れておくという。 (裏見寒話)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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貞勧元年(859)、清和天皇の勅願により創建。山梨県では最古の八幡宮。
現在の社殿は室町時代に武田信虎によって再建されたもの。境内には多くの重要文化財(国指定)が並ぶ。

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窪八幡神社
・                              山梨市北654
・ 窪八幡神社は、『大井俣神社本記』(承応2年[1653年]、当社蔵)によると、清和天皇の勅願によって貞観元年(859)に 九州宇佐八幡宮 が勧請されたのがはじまりと伝えられています。 境内には室町後期の神社建築が集中するほか、同時期の境内古絵図や鰐口・木造狛犬・三十六歌仙図など貴重な文化財が多く残されています。 これは、永正13年(1516)及び 大永元年(1521)の駿河勢侵攻による建物の焼失と、信虎・晴信(信玄)による戦国大名 武田家 の勢力拡大に伴う外護が要因となって、この時期に大規模な造営が行われたことによるものとみられています。
周辺には、戦国期の史料として名高い『王代記』が書かれた 別当上之坊(八幡山普賢寺)跡地をはじめ県指定文化財の『木造阿弥陀三尊像』が安置される神宮寺、坊や社家といった神仏習合遺跡が残されています。
・                    (現地 説明板より)

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