0309│鷲の湯

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ソース場所:甲府市湯村3-10-12 鷲の湯温泉

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会 
       ・ 現地説明板より    
       ・ 甲府市HP「おはなし小槌」 より  https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/no2/washi.html     
●画像撮影  : 2015年11月13日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] その昔、湯村温泉郷の辺りは葦の茂った湿地だった。ここに傷ついた鷲が飛んできてはしばらくして帰るを繰り返していた。そのうち傷も癒えて元気に帰って行ったので、村人が行ってみるとそこにお湯が湧いていたという。

 

鷲の湯・弘法湯
(朝日五丁目 長久保りう子さんの話)
今の湯村が昔、志麻といわれていて、葦の茂った湿地だったころの話です。
ある時、傷ついた鷲が来て葦の茂みに入り、しばらくして、巣の方にかえる。翌日もまた来て、しばらくして帰る。三、四日通ってくるうちに鷲の傷はすっかり治ったらしく勢いよく舞い上がって帰ってしまいました。
村人は不思議に思い、その場所に行って見るとお湯が涌いているのをみつけました。
それで、そこを深く堀り、浴槽をつくり入浴してみますと傷にもおできにもよくきくことが分かりました。この湯が鷲温泉となり現在まで続いています。 (しばらく前より営業されていない。)

また、弘法湯といわれている温泉は、昔、弘法大師がこの地に来られたおり、杖を立てた所からお湯が涌いたので弘法の杖の湯と言われています。

甲府市HPより

https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/ohanashi/no2/washi.html

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鷲の湯
昔は鷲の湯あたりは一面に茅萱が生えた沼沢の荒野であった。或る時一翼の鷲が飛んで来て、再三茅萱の中に姿を没し、また飛び去った。かくすること一週間ばかりで鷲は来なくなった。人々は奇異に思って茅萱の辺りを探ると、白煙の立つ所があり、そこを掘ると熱湯が迸り出て今日の様な温泉となった。この病鷲は山の神霊の現われであろうと、社を建てて湯権現を祀り、その山を湯村山と名づけた。 (西山梨郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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湯村八蹟「鷲の湯」の跡
古い湯村の源泉のうちでは最も大きいと云われた「鷲の湯」はここにありました。三十二人の村人の共有で、近くに「明治温泉」「清泉館」「湯伝旅館」「嶋屋」「市川屋」「吉野屋」「まつや」などの湯宿を持っておりました。  怪我をした鷲が傷を癒すのを見て村人が発見したと伝えられ「鷲の湯」と呼ばれて、その名前も跡も残っております。  昭和のはじめ、ボーリングして今この回りには明治、湯伝、吉野などのすぐれた温泉源泉があります。
「鷲の湯」「杖の湯」「谷の湯」とよばれていたこれらの源泉は、大同三年(八〇八年)に発見されたと伝えられて「島の湯」又は「湯島」と名付けられ、湯の出る村、即ち湯村温泉になりました。                          湯村ふるさと会(現地説明板より)

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この地は、東京国立博物館所蔵の葛飾北斎筆「勝景奇覧 甲州湯村」に描かれる古くからの温泉地です。

また、湯村温泉のあたりは湯志麻と呼ばれていたが、後陽成天皇第八皇子の良純親王(八の宮様)がこの地に配流された時、島流しの「シマ」に呼び名が同じ志麻を、不敬だとし「湯村」と呼ぶようになったという。

このデザインソースに関連する場所


甲府市湯村3-10-12 鷲の湯温泉
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