0385│禹の瀬

ソース場所:南巨摩郡富士川町鰍沢
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2015年10月23日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 僧行基が甲斐に来てこの地を開削し、甲府盆地の湖水の水を落として富士川に通じた所といわれ、中国の夏の禹王の治水の徳に比して、ここを禹の瀬と名づけたという。
禹の瀬 豊和村(今の大同村)法師倉の西の富士川岸にあり、元正天皇の養老年中僧行基が甲斐に来てこの地を開削し、甲府盆地の湖水の水を落として富士川に通じた所といわれ、中国の夏の禹王の治水の徳に比して、ここを禹の瀬と名づけたという。その時法師(多分行基菩薩)がこの地に倉を建てて、土木材料や食糧等を納めておいたので、法師倉といい、今もこの部落の名となっている。 (西八代郡誌) 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
このデザインソースに関連する場所
日本, 〒400-0601 山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢 身延道