物語
Old Tale
#0391
奈良田の七不思議
ソース場所:早川町奈良田
●ソース元 :・ 早川町 公式HP http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/tour/spot/legend/index.html
●画像撮影 : 2015年10月20日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
【概要】 山深く他の地域との接触が薄かった奈良田の地は、奈良時代の孝謙天皇が静養したと伝えられ、不思議なお話が伝わる土地です。
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一、『御符水』
奈良王様(孝謙天皇)がお堀りになった用水地でどんな干ばつや豪雨でも増減はなく、飲むと諸病に効能があるといわれています。
二、『塩の池』
塩を得ることに不便を感じられた奈良王様が、八幡神社に祈願されたところ、お手洗池から塩水が湧くようになり、村人はこれを汲んで使用しました。
三、『檳榔子の染池』
奈良王様がお衣をお染になられた池で、村人はこれで「タホ」布を染めて着ました。タホ布とは、楮(コウゾ)で織った布のことで、仕事着などに使用されました。
四、『二羽烏』
奈良王様がご遷居中、奈良田には烏が多くいて、畑の作物を食い荒らし、里人を苦しめていました。
奈良王様は、ある日烏を集めて「これからは人間のつくっている作物を食べてはならない」と厳重に言い、10数日して再び烏を集めて全部の烏の腹の中を調べたところ、2羽の烏を除いたほかの烏は、相変わらず作物を食べていたので、奈良王様は大変に悲しんでお怒りになられ「言いつけを守った2羽だけは鎮守の森に住んでも良いが、他のものはここへ置くわけにはいかない。今すぐ他国へ出て行きなさい。この地には永久に烏は2羽だけしか住んではならぬ」と2羽を残して、数10羽の烏を追放されました。それ以来奈良田には、烏は2羽だけしか住まなくなったといいます。
五、『洗濯池』
厳寒地の洗濯に苦労された奈良王様は、八幡神社に祈願して温かい泉を掘られ、里人の苦労は救われました。
六、『七段』
奈良王様がお住まいになった王平から早川河原まで自然の七段になっていましたが、奈良の都の七条にならったものだと言われています。
七、『片葉の葦』
奈良王様が都へお帰りになられるとき、御跡を募った村人と共に葦も皆、一様に北の方を向いて片葉になったといいます。
http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/tour/spot/legend/index.html
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奈良王様(0398 「奈良王様」参照)とは
奈良時代の女性天皇である孝謙天皇(この土地では奈良王様と呼ぶ)が、奈良田の地にしばらくの間逗留し、病を癒したという伝説がある。「奈良田の七不思議」は、孝謙天皇の功績を七不思議として後世に伝えたものである。逗留時のお住まいの跡が奈良王神社であると伝わる。
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山梨各地に伝わる昔話や伝説、言い伝えを収録しています。昔話等の舞台となった地域や場所、物品が特定できたものは取材によって現在の状態を撮影し、その画像も紹介しています。