0398│奈良王様

ソース場所:南巨摩郡早川町奈良田479 奈良王神社
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2015年10月20日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要]奈良王様 早川から十数キロ上流にある郷 奈良田 、ここには孝謙女帝がご遷幸せられたという不思議な言い伝えが残っている。
奈良王様 一皇四十六代孝謙天皇は、聖武帝の皇女で女帝であられたが、或時玉体に御悩みあり、神仏に祈誓し給うと夢に老翁現れ、甲斐国巨摩郡早川庄湯島郷に霊湯ありと告げた。よって吉野を御発輿になり、天平宝宇二年五月尋ねてこの地に着し、假の宮殿を営み、霊湯に御入浴なされると二旬を越えないうちに全快された。天皇は一刀三礼の薬師の像を彫刻し、湯王大権現と祀り、また応神天皇を祭神として、若宮八幡を祭って氏神とされた。又この地を甲斐の四郡外とし、山代郡奈良田と号して凡そ十年近く御遷居あらせたが、天平神護元年再び南都へ御還幸せられた。その後村民天皇の徳を慕い、延暦三年六月皇居の跡に一宇を創立し、法基尼(天皇の御諱)の尊像を彫刻し、奈良法王尊と称して奉祀した。今も奈良王様と呼んであがめている。 (甲山峡水)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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奈良王様が都に帰った後、村人たちは奈良王様のお住まいの跡を奈良王神社として奉り、その功績を「奈良田の七不思議」として後世に伝えた。
このデザインソースに関連する場所
南巨摩郡早川町奈良田 奈良王神社