0533│旗立ての松

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ソース場所:甲州市大和町田野389 景徳院

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会         
●画像撮影  : 2014年09月19日
●データ公開 : 2016年04月01日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 武田家終焉の地。 もはやこれまでと覚悟を決めた武田勝頼は、武田家家宝の旗を松の木に立て掛け、子の武田信勝(1567-1582)の跡目継承式である「擐甲の礼」を行った。その直後、織田方の滝川一益に捕捉され、勝頼や家臣たちと共に自害したと伝えられる。後に武田勝頼・信勝の死を弔うため徳川家康がその地に景徳院を建立した。

武田勝頼のことを甲斐武田氏最後の当主と思う方も多いが、旗立の松の下「擐甲の礼」を行っているので、第21代当主 武田信勝が甲斐武田氏の最後の当主となる。祖父である信玄は遺言として「自身の死を三年間秘匿する事、信勝成人まで勝頼が陣代を務めること」を命じていたと伝わっているので、勝頼も最後に信玄の命に従い信勝に家督を譲ったことになる。

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壬午の変の時、事態が急迫し、ここの松の木武田家累代の宝物である旗を立て、世子信勝が擐甲の礼を行ったという。九間に六間の老松であったが、弘化年中(1844-48)火災にかかって枯れ損じた。  (東八代郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

(その後その子孫となる松が植えられている。)

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甲州市大和町田野389 景徳院
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