物語
Old Tale
#0570
とんちき和尚なる九郎貴様
ソース場所:南都留郡山中湖村山中 九郎貴神社
●ソース元 :・ 山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
●画像撮影 : 2015年11月04日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要] 山中湖村山中にある九郎貴神社は、天明の飢饉(1782-1788年にかけて発生した大飢饉)の頃、この集落にやってきて、毎日、集落の無病息災、五穀豊穣を祈り祈祷して回っていた「とんちき和尚」が祀られている。 僧ではないので和尚と呼ぶのはおかしいが、人々は尊敬の気持ちからそう呼んだという。集落を祈祷してまわった後、飢饉で苦しんでいる人々を救う祈祷をするために山中口登山道に向かいそのまま戻らなかったという。 集落で宿所にしていた名主の湊屋が神社を造り「とんちき和尚」と呼ばれた九郎貴様をお祀りしたという。
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とんちき和尚なる九郎貴様
富士の裾野の山中湖は、「甲斐と駿河との国境に接していて、昔から人びとの往来や、荷物の運般など、鎌倉往還としての重要な街道でありました。こうした地の利からも、史跡や伝承などが湖の周辺には多く残っています。
この山中湖の南西に、畑を耕したり、薪を取ったり、馬に敷く褥草(しとねくさ)などを刈ったりしてくらしをする人々の村がありました。
村の人が草刈りの山道として使っていた道端に、九郎貴神社というのがあります。
今から、二百余年も前のことです。白装束に身をまとい、祈講師と思われる高貴の人がある日、山中の集落を訪ねて来ました。
この時代は天明の大飢饉のころであったといいます。その人は毎日ドンツク、ドンツクと団扇太鼓を打ち鳴らしながら、集落を回り五穀豊鏡、無病患災を祈っていたと伝えられています。
村人はその時の、団扇太鼓の音色や、白装束姿やいろいろな仕種などがめずらしく、いつか、誰いうとも無く「とんちき和尚」と呼ぶようになったと言います。(和尚とは僧侶の尊称であり、神に仕える身には和尚はおかしいが、高貴な人であるという尊敬の意からであるとか)
ところがある日のこと、「とんちき和尚」は宿泊した名主の湊屋で、一升三合の「むすび」を作ってもらい、お山(現 山中口登山道に通ずる山道)へ祈祷の旅に出かけたそうです。
けれど「とんちき和尚」は、そのまま消息が絶えてしまったそうです。飢饉で苦しんでいる人びとを救うために神仏に祈りを続け、湊屋でもらったむすびが無くなってからもなお祈り続けたため、山中で命絶えてしまったのでしょうかその後、湊屋では所有地に、神社を造って九郎貴様大神をお祀りし、陰暦の三月十五日(現在は四月十五日)に、年々盛大に祭典が行なわれています。
古文書によると、藤原鎌足公子孫、藤原右京、右京改め、俊国、云々とあります。
ご神体には、奉鎮座、九郎貴大神、神霊とあり、丁丑年四月十五日、宮司と記述の文字が明確に見られます。 (山中湖村)
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
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