


物語
Old Tale
#0575
じぶたの観音様と鐘掛け松
ソース場所:北杜市長坂町白井沢 じくた観音
●ソース元 :・ 長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
●画像撮影 : 2016年01月07日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。










[概 要] 今でこそ、おしゃれなカフェなどが有り、車も快調に走る道路沿いだが、昔、白井沢や南新居(大泉町谷戸の辺り)の人達は毎年馬を連れ何人かで、小荒間の北の入会地に草を刈り取りに行っていた。当時は山の道で、途中で迷子になった挙句災難に逢う仔馬もいた。そこで、人々は、馬の供養と山道での安全を願って、人家もない上の原に馬頭観音を建てたという。
じくた観音 寛延四年(1751)八月建立 毎歳四月区民集いて 家門弥栄 子孫長久を祈念する。 との石碑が観音像の脇にある。
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じぶたの観音様と鐘掛け松 (上の原・小荒間)
小泉小学校北の広域農道の傍らに馬頭観音がある。上の原地区の人たちはこの観音様を「じぶた観音」と呼び、毎年春に祭りをしている。「じぷた」とは「湿った田(しぶった)」からつけられた名前だというが、はっきりしたことはわからない。
この観音様にはこんな話が伝わっている。
昔、白井沢や大八田村南新居のお百姓さんは毎年、小荒間の北約4kmの「鐘掛け松」のあたりにあった入会地に草刈りに行っていた。
何人かで組になり、朝早く馬に乗って人ヶ岳に向かった。馬の中には、その年に生まれた小馬を連れている母馬もいた。親馬の後をおとなしくついてくる小馬も、時には、勝手に道草をくったり、遊んでしまって遅れたりして、道をそれてしまう小馬もいた。たいていは遅れに気づいて追い着くのだが、中にはそのまま迷子になってしまった小馬もあったという。また、山犬に襲われたのか、無残な姿で山の中で発見されたこともあったという。
そんなことが何回かあってから、南新居と白井沢の人々は、馬の供養と山道での安全を願って、人家もない上の原に馬頭観音を建てたということである。この観音さまには、「寛延四年、南新居 白井沢」と刻まれている。
「鐘掛け松」というのは、江戸時代からこのあたりに入会地を持っていた、南新居、白井沢、小荒間地区の人々が、入会地の山火事防止のために、火の見やぐらのかわりに松の木に鐘をつるしたことから、こうと呼ばれるようになった。八ヶ岳登山などのときには集合場所や休憩場所としても使われ、地域の人々にとっては懐かしい木である。今では、枯れてしまい大きな切り株を残すだけになってしまった。切り株の近くには、三地区の人々によって文化7年に建てられた馬頭観音が建っている。現在でも、この地区の人々は入会地の見まわりのために、交代でここまでやってくる。 (田中寅三)
長坂町教育委員会(平成12年)「長坂のむかし話」 長坂町役場
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