


物語
Old Tale
#1143
大菩薩峠
ソース場所:大菩薩峠
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
●画像撮影 : 2016年11月12日
●データ公開 : 2016年11月18日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。






[概要] 昔、源義家(八幡太郎)が「後三年の役」で苦戦しているとの知らせを聞き、義家の弟 源義光(新羅三郎)は朝廷に東下を乞いましたが許されず、官を辞して兄のもとへ向かった。しかし、この辺りで道を失い難儀していると樵夫が来て先導してくれた。峠まで来ると樵夫の姿がふっと消え、眼下に源氏の白旗が風に翻っているのが見えた。 源氏の神様である八幡大菩薩に助けられたと悟り、神の加護に感謝した。それでこの峠を大菩薩峠と呼ぶようになったと伝わる。
大菩薩峠 東山梨郡神金村萩原
上下八里。昔 新羅三郎 奥州を攻める時ここを通ったが、草木が茂って道が分からぬ。その時 馬を牽いた樵夫が来て教導し、頂上に至って消え去った。(新羅三郎)義光が遥かに笛吹川の辺りを眺めると、八流の白旗が風に飜って(ひるがえって)見えた。これは軍神の加護であったかと、遥拝して八幡大菩薩と高声に唱え、これが峠の名になったという。又古くは 日本武尊 常陸国より西上し、この峠を越えて甲斐に入ったという説もある。
この峠を越えると北都留郡の小菅、丹波山へ出るが、頂上に妙見、大菩薩の二社があり、一は萩原に属し、一は小菅に属する。萩原から米塩を小菅に送る者は、この峠に来て妙見社の前に置いて帰る。小菅から荷を運ぶ者もこの峠におき、萩原からの荷と交換して持ち帰る。この間数日を経ることがあり、また雪が降れば、一冬経って来春荷物を交易する場合もあるが、紛失することはないという。 (東山梨郡誌)
土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
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