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「YAMANASHI DESIGN ARCHIVES」は、山梨県に伝わる過去の優れた物品の造形や模様、自然から得られる色彩、今に伝わる昔話・伝説を、産業上で使用することのできるデザインソースとしてデジタル化して配信する山梨県のプロジェクトです。

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The “YAMANASHI DESIGN ARCHIVE” is a project in Yamanashi prefecture that distributes the design sources of shapes and patterns of fine goods that have been passed down in Yamanashi prefecture since the past, colors from nature, old tales and legends that have been passed down to the present, and written material that has existed in the region since ancient times through a digital format for industrial use. Please make use of these sources for product development, education and research, service development, etc.

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#0317

七日子神社

ソース場所:山梨市七日市場1068 七日子神社


●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会
       ・ 現地説明板
       ・ 山梨市の民話 ちどりの里(ふるさとの民話・風俗を訪ねて) https://www.qsl.net/jh1iru/yamanashi/minwa/minwa.htm
●画像撮影  : 2015年09月11日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概要] 山梨市七日市場にある「七日子神社」は、安産祈願から、生まれたばかりの赤ん坊の健康と幸福を祈念する、ママと子供にとってもやさしい神様です。

 

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小児の足跡石

七日子神社の御影石に小児の足跡があり、産屋あけ参宮のとき、児を立たせてこれを踏ませれば、一生の寿福を全うするという。この社は昔、欽明天皇のお后御懐妊の時、天皇勅して甲斐国七日子の神を祭らしめ給い、その郷の貢を禁中に召され、御后御臨産の時右の貢米を御餞に炊き、これをすすめられると安らかに皇女を生ませられた。七日子の御粥の行事は、禁中の御吉例だといって今も行われるという。 (東山梨郡誌)

出典:土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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七日子神社御由緒
第二十九代欽明天皇(540)の御代、皇后堅塩媛命が御懐妊の御時に、天皇は勅命を以って甲斐国に七日子の神「祭神 木花開耶姫命 大山祗命 彦火火出見尊」を祀られ 御神田による貢米を宮中に召された。皇后 御臨産に当たり、貢米を御粥に炊いて差し上げると、いと安らかに皇女を御出産せられた。これは七日子の米粥の御得と思召され、御名を豊御食炊屋媛(とよみけかしみやひめ)尊と崇め奉った。この御方が後の第三十三代推古天皇である。
この時 摂政の聖徳太子は神慮を仰ぎ、奉幣を厚くされた。爾来 七日子の米粥の神事は、宮中の産養の吉例として行われたことが、平安期の長秋記・王海 等に記録されている。
康和五年(1103)宗仁天皇「後の第七十四代 鳥羽天皇」が御生まれになり、御七夜の産養の祝儀が行われた時、源俊頼が次の歌を祝詠したことが散木奇歌宗にある。
・    君が代は 七日子の粥 七がへり 祝子心に あえざらめやは
又、室町期には宗祗法師も次のように詠じている。
・    貢ぎせし その甲斐ありて 七日子の 今も絶えせぬ 神の瑞垣
足利末期(1570前後)には兵乱が続いたため、宮中の産養の神事は廃れたと言われているが、七日子の神は貢明神と崇敬され、安産の守り神として民間信仰の拠点となって、今日に至っている。
現在社殿の床下には巨大な磐座があり、その周辺は御砂が敷き詰められている。神前には安産の御砂箱が安置され、神域には陽根石、婦人の禁忌石、小児の寿福石等がある。
神社の周辺一帯は石器時代の住居跡が密集し、縄文時代より奈良期に至る文化遺物の伴出により、昭和二十四年、山梨県の七日子遺跡として史跡指定されている。

・         昭和五十六年十月吉日  七日子神社氏子中(境内説明板より)

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安産のお砂と七彦粥
七日市場に、通称「七彦さん」と呼ばれ、安産の神が祭神となっている七日子神社がある。神殿の下の岩蔵に、直経七十センチ位の大きな石があり、その周りには、風化作用などによって崩れ落ちた白砂がある。その砂は、「安産のお砂」と呼ばれ、懐妊した婦人がお産の時に一握りのお砂を借りて、床のしたに置くと必ず安産になるという言い伝えがある。又、一握りの砂の中に小石が入っていれぱ男の子が生まれ、小石が入っていなければ女の子が生まれるともいわれ、産屋明けには、お借りした砂の量の二倍をお返しする習わしである。大正年代頃までは、この岩蔵の格子戸を明けて、人がやっと通れる位のくぐり戸をかがむようにして入り、お砂を借りに行ったそうだが、あまりにも大勢の人が出入りするので、格子戸も、くぐり戸も壊れはじめたため、破損防止上から形だけとなり、その代りに賽銭箱の前に「お砂箱」が置かれるようになった。当時は、地元の人より中巨摩の人が多くお参りに来て、お砂を借りて行くので不思議に思って尋ねると、中巨摩には難産の人が多く婦人達が悩んでいたという。その頃七日市場から嫁いだ人が大変難産だったので、次の子をお産する時に、七日市場の実家で お産したところ安産だった。七日市場には難産の人は誰一人いない事を人づてに知り、「安産のお砂」を借りに来るようになったのだそうだ。「お砂」を床の下に置くという事は、七日市場の地でお産をするという意味を持っているため、中巨摩の人達もお砂を借りりに来るようになってからは、難産の人はいなくなったといわれ、現在でも「安産のお砂」を借りに来る人もいるそうだ。又、お砂箱には今は、河原の砂が入っているのだが、地元の人達にも、お砂をお借りする伝統・習慣が守り継がれている。又、その昔、当社には古来から「七彦粥」という神事が伝えられてきた。平安時代は、宮中の方のお産時には「七彦粥」の行事があった事は「長秋記」などによって伝えられている。甲斐国志はこの縁起について、きんめいてんのうこうごうかたしおひめのみこと欽明(きんめい)天皇の皇后、堅塩媛尊(かたしおひめのみこと)が御懐妊の時、甲斐国に七日、甲斐国七日子の神に祭らせ、又、お産時には「七彦粥」を炊きすすめたところ、安らかに皇女がお生まれになったと伝えられ、それを食べさせると健康で立派な人に育つといわれている。又、七彦が生まれる前には貢明神が鎮座していて、その明 神様に貢という地区で取れた米を備えて宮中にそれを貢ぎ物として差し上げたという伝えもあり、貢明神から発展して、七日子神社となったたといわれ、その近くに「貢」という地名も残っている。

(山梨市の民話 ちどりの里(ふるさとの民話・風俗を訪ねて) より)

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無病長寿の小児(こども)の足跡(あしせき)
七日子神社の表参道にある二の鳥居を過ぎると、前庭に登って行く石段の左側の隅に、大きな自然石があり、その石の表面に深さ一センチ、長さ八センチ位の赤ん坊の足跡型をした可愛らしいくぼみがある。このくぼみは、昔からの言い伝えによると、「無病長寿の小児の足跡」と呼ばれ、出産後、男の子は三十一日、女の子は三十日目にする産屋(うぶや)明けのお宮参りの時に、子供の足をこの足跡型に触れさせると、「その子は病気にかかることなく、長寿は疑うことなし」と、語り継がれている。人々は、かなり遠方からもお参りにやって来て、この石の上に子供を立たせては何やら子どもに話しかけながら、子供の幸せを祈っている姿がよく見受けられる。七日子神社の祭神である木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)(乙女の美しさを花にたとえた名前)は、「古事記」によると、大山顧神(おおやまつみのかみ)の娘といわれ、天孫墳々杵尊(てんそんににぎのみこと)の妃(きさき)となり、一夜にして懐妊したのだが、その貞操を尊に疑われ、生まれてくる子が正統の子であるかどうかの真偽を明らかにするために、真新しい産屋に火を放たれてしまった。燃えさかる火の中で、急に 産気づいた姫は、産屋の真ん中にしつらえた大きな石の上に、火閲尊(ほせりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)火明尊(ほあかりのみこと)らの神々を産み落とした。その瞬間に、赤子の足跡が、くっきりと石の上についたと言う。そして、姫の身の証もたてられ、火中にあって安産した神々の足跡型に触れた子供は火傷をしないと今日まで伝承されたのである。浅間信仰では、木花開耶姫尊は主神であり、転じて富士山体を女神(木花開耶姫尊)とする、と考えられている。山梨県では、伝説をそのままに、安産の神とする考え方が強く各地に祀られ信仰されている。

(山梨市の民話 ちどりの里(ふるさとの民話・風俗を訪ねて) より)

このデザインソースに関連する場所

山梨市七日市場1068 七日子神社

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