0308│甲斐の湖

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ソース場所:甲府市宝2-8-5 穴切神社

●ソース元 :・ 土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会             
●画像撮影  : 2015年10月20日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他   : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。

[概 要] 甲斐の湖    甲府市内の小学生だった私は、家族に連れられ甲府盆地が一望されるような場所へ出掛けると必ず、「甲府盆地は昔湖だったんだよ、それが、神様達が山に穴をあけたりして水を流し去ったんだって。なんだろうねえ。地表が隆起したり、地形変動で縁が崩れたりしたのかなあ?まあどんな風に水がひいたかは知らないけど、富士銀の先にある穴切り神社は山に穴をあけた神様がいる所なんだよ」と教えられ、「ずいぶん腕白な神様もいるもんだ」と思ったものでした。

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穴切神社

大昔、甲府盆地が一面の湖水であった頃、あるお地蔵様が「この水を除きたい」と二人の神様に相談をかけた。二神もすぐに賛成して、一人の神様が山の端を蹴破り、他の神が山を切り穴をあけ、湖水の水を今の富士川へ落とした。これを見た不動様も引っ込んでは居れぬと、河瀬を造って手伝ったので、この二神二仏のお陰で甲府の土地が現れた。山を切り穴をあけた神は、今甲府の西に穴切神社として祀られ、山を蹴破った神は蹴裂明神として知られている。瀬立不動が河瀬を造った不動様、また甲府の東光寺にある稲積地蔵というのが、始めにこの疎水計画をされた地蔵様である。もとは法城寺にあったのを、後に東光寺に移したもので、法城の二字は水を去り土を成すと読まれるという。 (日本伝記集)

東光寺の地蔵様は、甲斐の国を産み作ったので、国母地蔵ともいう。 (西山梨郡誌)

土橋里木(昭和28年)「甲斐傳説集」山梨民俗の会

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今からおよそ500万年前、富士山もまだなかったころ甲府盆地はまだ海の底でした。富士川の辺りが海峡のように狭まってはいましたが、甲府盆地の辺りまで海が入り込んでいました。なので、身延町で貝の化石を見れたり、旧中道町で海の藻の化石を見つけることが出来たりした。その場所は川のすぐ脇などではなく思いのほか山に入る辺りで見れたりしたのだから、この辺りまで湖だったに違いないと思ったのだろう。

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甲府市宝2-8-5 穴切神社
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