0501│蹴裂神社

ソース場所:西八代郡市川三郷町上野3158 歌舞伎文化公園内
●ソース元 :・ 土橋里木(昭和51年)「甲州の伝説」甲州伝説散歩 ㈱角川書店
・ 小畑茂 山梨県立博物館研究紀要 第10集 2016年3月抜刷 「明治45年3~4月皇太子(大正天皇)山梨行啓について(二)」
・ 現地石碑 等を参考にさせていただきました。
●画像撮影 : 2015年10月15日
●データ公開 : 2016年06月24日
●提供データ : テキストデータ、JPEG
●データ利用 : なし
●その他 : デザインソースの利用に際しては許諾が必要になります。
[概 要]
蹴裂神社 市川三郷町上野
甲斐の湖伝説の伝わる神社。
ここでは、浅間神社の祭神 木花咲耶姫の侍女たちが舞いを舞っているところに、暴れん坊の大男(手力雄命 タヂカラオノミコト)が来て乱暴をした。これを木花咲耶姫が咎め、大男に「何か良いことをするよう」言った。そこで、南側の山を蹴り破り湖だった甲斐の中心から水を抜いて今のような甲府盆地を創った。この大男を祭ったのが上野の蹴裂神社である。
この場所は、平安時代末期に源頼朝によって謀殺された一条氏の屋敷跡である。武田信玄は、甲斐源氏の古い氏族である一条氏の名跡が絶えるのを惜しみ、異母弟の信龍に一条家の名跡を継がせた。その後、武田家滅亡までこの地は上野城として甲南の守りを固めていたと言う。
また、明治45年春、東宮(後の大正天皇)が山梨に行啓した。陸軍近衛師団幹部演習視察と地方見学を兼ねたもので、商業学校、県立高等女学校、日川中学、師範学校、農林学校等を見学されたり、県庁内に県内文化財や物産の展示などを見学された。演習の視察では韮崎、市川大門、御坂、竜王にむかわれた。蹴裂神社は市川大門の演習地の視察時、御野立所として使われた。
甲府盆地を一望出来るこの地の利が、各時代この地にスポットライトを照らしたように思う。